Q 大村範士の抜き方は
『中山博道から「後ろに注意せよ」と教えられた為、 後ろから見た場合、我身をできるだけ狭くするよう心掛けた』
との事ですが、なぜ我身を狭くすることが後ろを注意することに繋がるのでしょうか?



A 小生の拙文を御覧になっていただき、洵に有難うございます。
ご質問の件ですが、自分の肩を縮小すると云う事ではありません。敵から私を見た場合、私の身体が狭く見えるようにすると云う事です。それにより敵の目標物である我の身体は狭くなるので、敵からは攻撃し辛くなる訳です。
  例えば、ここに一冊の本があります。この本を表紙側から見た場合、高さ、幅が良く解かり目標にしやすいですが、これを背表紙から見た場合、高さと厚みだけ目標とするには難しくなります。これこそが「我身を狭くする」の意義です。
 技としては上体を左に捻って、左肩を後ろにし右肩を前にするすることで、後方の敵は目標である私の肩幅が一挙に狭く見え、私に対する攻撃がやりづらくなるでしょう。
◎参考文献
 大村範士が折に触れて書かれたものを収録した「幽芳録」の一部を紹介します。

(1)古流の体作り体勢
 神伝流秘書の冒頭に居合可抜申形如斯(居合抜き申すべき形、かくの如し)として、等辺の三角形が図示してある。(図1)  角の突端で敵に対し、体作りは等辺三角の中に置くとされている。この方法は古流を守っておられた先々師・細川義昌先生までのもので、敵に対し勝れた体作りとは云えない。  即ち、等辺であるから底辺になるところは盲点を示し、広い死角となる。従って良好な体作りとは云えない。

<図1>


(2)中山先生の攻防の体勢原理
 等辺三角形の体作りを一歩進めて盲点を縮めて少なくし、最尖角をもって敵に対するを最上と考えられた中山先生は、鋭角の形をとることを私に教えてくれた。(図2) 即ち、盲点を少なくする体作りに徹すれば「太刀風三寸一否一分でも身をかわすことが可能であり、攻めの一手はきまる」と。

<図2>

(3)大村範士の狙う攻防の体勢
 死角の少ない尖角をもっての攻防体勢は楽な体作りではないが、中山先生の鋭角の体勢を図のようにしたらどうか。(図3)
 敵から見れば点であり、自分からは「|」の線でいくことを考えた。つまり、死角をゼロにしたい。

<図3>

 以上のように、私が指導を受けた先生方は代々受け継がれてきた理論を基礎として、常に前向きに研究をしておられました。

 またの御質問をお待ちしております。
 


Q 先生は研修館にて稽古されたとの事ですが、檀崎先生は当時どのような居合を抜いてらっしゃったのでしょうか?また、それがどう変わっていったのでしょうか?
 ご様子など何か教えて頂けたら、幸いです。



A このご質問に関しましては、後日、私の過去の稽古に関する記述の中で回答する旨を申し上げましたが、それでは分量も多くなり、期間も遠のきますので、とりあえず要点のみをまとめてみましたので、これをもって回答とさせて頂きたく思います。
 私が研修館に入門したのは昭和36年秋、翌昭和37年に檀崎先生は八段を授与されましたが、御年50歳の頃で油の乗り切った時期であったと思われます。
 当時、研修館には技鑑として檀崎先生の先輩に当たる鶴岡清明、大村唯次、山嶌重志(いずれも範士)らの先生方が来て、門下生を指導しておりました。
 檀崎先生は折に触れて、上記範士の先生方と様々な角度から居合について研究をしておられたようでした。 とりわけ、先生は鶴岡範士と良く御相談されていたようで、私もお二人が居合に関する研究を熱心になさっていたのを何度となく拝見いたしました。
 私が檀崎先生に最初に教わった業は、先生が中山(博道)範士から教わった、そのままの内容ではなかったかと考えております。 それが前述の各範士との研究により、年月を至るに従い、形の上において少しずつ変化していったように思いますが、その年月と形の変遷について、現在では記憶がズレてハッキリと申し上げることができませんので、悪しからず御了承ください。
 また、先生は当時高級品であったアメリカのベルハウエル社製8ミリ撮影機で御自分の居合の形を奥様に撮影させておられたのも何度も見ております。
 現在では、性能のよい優秀なビデオカメラが普及しているようで、羨ましい限りです。
 稽古時間は、先生の話によると午前中約2時間、夕方から弟子に指導するのが約2時間ということでした。
 稽古着は上下とも白木綿、刀は刃長2尺6寸5分、返り6分。現代刀の注文打ちで銘は「津軽住二唐國後」でした。この刀は道場に置いてありましたので、誰もいない時、私は内緒で使わせていただきましたが、バランスが良い為か重さはあまり感じませんでした。
 弟子達は先生が抜くのに合わせて一緒に抜くのですが、最初の内は何とかついていけるものの段々に遅れ,とてもついていけませんでした。
 稽古量の問題であろうと思われます。
 このようなもので宜しかったでしょうか?
 何か御座いましたら、何度でも気軽に御質問ください。



Q 私は今、ほとんど稽古が出来ない状態にあります。稽古が出来るのは二週間に一回あるかないか。先生方は時間が無い時はどのような稽古を心がけていたのでしょうか?
 また、こういった稽古が有効だと云うものはありますでしょうか?


A 誰でも様々な理由で稽古が思うようにできないという事は幾らでもあると思います。
 私も仕事の関係で昭和40年頃から昭和50年頃にかけて、二週間に一度くらいの時間しか稽古が出来ませんでした。これに加えて左膝じん帯を痛め、立ったり座ったりが思うように出来ず、三ヵ月ほど入院治療をしましたが仕事の都合で完治しないまま退院しました。
 また、頚骨から右側に出ている小骨一本が下に向かって曲がってしまい、これが神経に悪影響を及ぼし、首筋から肩先、肩甲骨あたりの筋肉が硬直して首も回せなくなる程でした。これも昭和45年頃から現在に至るまで完治はしておりません。
 ですから稽古をする場合には時間がなくても入念に体操をして筋肉を柔軟するようにしています。
 さて、このような状況の中で刀を振ることができない場合、私は次のようなことを稽古に役立てました。


1.気力を養う
 多くの方はお寺で参禅するようですが、私はそのような時間が取れませんでした。そこで「ゆっくり息を吸い、吸い上げたところで吸った息を下腹に呑みこみ、そのあとゆっくり息を吐く」という方法をとりました。こうすることによって腰が坐り姿勢も良くなります。慣れて来ると歩きながらでも出来ますのでお試しください。
 これは幕末の剣士 白井義謙著「兵法未知志留邊(ひょうほうみちしるべ)」を読んでヒントを得ました。山田次郎吉著「剣道叢書」の中にも記載されていますので一度読まれると良いと思います。ただし文語体で書かれていますので難解な部分があるかも知れません。


2.体力作り
 居合は何と云っても足腰が大切なのでスクワット、ストレッチを中心に腰の捻転などを現在でも朝晩10〜15分ほどやっております。
 また、仕事の休憩時間などを利用して初発刀の抜き付けの形で体を上下させ膝や腿の筋肉を鍛えました。これは普通の革靴などでやると靴の底が剥がれてしまいますので、運動靴を履く事をお勧めします。
 どうしてもフラついてしまうときは壁や机に手をついて支えにすると良いでしょう。
 手の内が不安定にならない様に暇を見つけてはサイダーの空き瓶を振ったりもしました。広い場所であれば木刀が良いのですが。


 そんなこんなで苦労は絶えませんでしたが、それでも地道な努力を続けた故かいつの間にか居合も剣道も七段になることが出来ました。継続は力なり、まさにその通りだと思います。
 満足を得る回答には程遠いかもしれませんが私の経験を参考までに記述しました。御自身でも色々と工夫してみて下さい。



Q 斬り下ろしの際、膝を少し前に進めながら斬り下ろす人を見かけますが、間合いが近くなってしまい良くないと思うのですが?


 夢想神伝流 初発刀の斬り下ろしについての御質問と思いますので、そのつもりで回答致します。

 中山博道門下の檀崎・橋本範士等の各範士は膝を進めてはいませんでした。
 中山範士は上体が上に伸び上がるようにして斬り下ろしていたようですが、膝を進めてはいなかったようです。従って夢想神伝流では膝は進めないのが原則だと思っています。
 然しながら、必ずしも「こうであらねばならない」と固定的に考えることもないと思います。
 実戦を想定してみますと、鞘離れの一刀で相手がどの方向にどのような状態で倒れるか、全く分からないと思います。従って、刀を振りかぶる際、相手の状態、方向、間合いを見て、それに対応できるように自分の状態を整えるべきと思います。
 ただ、「この状態のときはこのように、この間合いではこのように」と、一々形の上で取り上げていたのでは際限がありませんので、「初発刀」の形一つにまとめたのだと思います。
 単純に初発刀は「基本」であり、膝を動かすことは「応用」であると割り切って考えた方が気持ちの上で楽ではないでしょうか。私は全ての技に於いてそのように考えております。
 相手が当方の形に合うよう動いてくれれば良いのですが、実戦ではそのようにはいかないものですから、基本である形から或る程度外れることは止むを得ないと思います。



Q 私は稽古の際、指導の先生方から「振りかぶったとき、刀が水平になっていない」 と、よく注意を受けるのですが、その「水平」が指導者によって若干、異なります。 どのように対処すべきでしょうか?


 御指導の先生方が多いというのは、実に恵まれた環境ですね。しかし、先生方の指導内容に差異があると、少し混乱されるかもしれません。私も「こうであらねばならない」とか「こうである」と言い切れる程の自信はありませんが、それでは回答になりません。ご参考までに、私が過去に経験したことをお話したいと思います。
 剣道でも「水平から水平」と言われておりますが、竹刀は言わば直刀であるため「水平」が分かりやすいのですが、反りのある刀ではそうはいきません。昭和53年頃だったでしょうか、故・橋本正武範士にグループごとの指導を受けていた際、座談で「刀のどの部分を捉えて水平とするのか」という話になりました。
   ・柄の部分
   ・物打ちの部分
   ・剣先から柄頭を結ぶ仮想の直線
の三点に意見が絞られましたが、結論として「水平に近い状態であれば良い」という見解に達しました。
 それに関し橋本範士は「言葉や文字にこだわって肝心の気が抜けたり、運剣がスムーズにいかないのでは意味がない。大会や審査等で刀に水準器をつけるようになっては“角をためて牛を殺す”の類になる」と言っておられました。

 また、昭和50年になった頃、中山博道の墓前祭(毎年12月14日に開催していた)の宴席で、故・瀬上正治範士が次のように話されていました。
「中山先生は稽古で切り下ろしを行う際に、よく床上を剣先でゴツンとやっていた。振りかぶりは剣先が尻の上、ほぼ垂直に下げておられたので、弟子がこれを真似て剣先で自分の踵を突つき、怪我をする者が多く出た。そこで中山先生が“刀は水平から水平に振るのが宜しかろう”と言われたのが現在も受け継がれている」

 上の二つの話に自分なりの解釈を加えた結果、私個人としては振りかぶった時には柄を水平に、切り下ろした時には物打ち部分が水平になるよう行っています。こうすることで振りかぶりの際には両手の高さが同じになり、また、切り下ろしの際には遠心力が剣先にあるようになるため、私にとっては最も自然な形であろうかと思っております。



Q 全剣連制定居合の解説書には「抜き打ち」と「抜きつけ」の2種類の記述があります。両方とも同じ動作を指していると思われるのですが、何か違いがあるのでしょうか?


 素っ気のない表現で申し訳ないのですが、これは私にも解りません。全剣連に直接問い合わせてみるのが良いかもしれません。
 ただ、過去に知り得た事として、以下の記述を付け足しておきたいと思います。
 昭和53,4年頃、全剣連主催の中央講習会に千葉県代表として出席した時のこと、質疑応答の時間に同様の質問が上がりましたが、その場では結論はウヤムヤになってしまいました。
 その後、昭和14年5月〜同17年5月まで刊行されていた『刀と剣道(全17巻)』という雑誌が再販され、それを購入してみたところ、記事の質疑応答欄に同様の質問が寄せられていたのを見つけました。回答者は剣道範士・斎村五郎先生です。
「小生は居合については不案内なので、小生の懇意にしている有名な居合の大家に問い合わせたところ、次の回答がありました。 “当流においては「抜き打ち」「抜きつけ」とも同義語と考えている。理由として「抜き打ち」という言葉は余りに生々しいので、これを廃し「抜きつけ」 と言うようにしている。以上、回答します”小生も、この考えは至極尤もであると思います」
以上のことから、私も両者は同義であると考えています。 しかしながら、現在において全剣連の定義がどうなっているのかは不明であることを御了承ください。



Q 審査や大会で刀の風切り音が無いと不利であるといわれていますが、本当でしょうか?また審査員や審判員にアピールする音を出す方法を教えてください。


 風切り音は「刃鳴り」「刃音」とも云われています。何を振っても音は出るのですが、音の大小、高低、長短等がそれぞれ異なります。
 音の範囲は非常に広く、人間の聴くことのできる範囲はごく一部であることはご存知でありましょう。人間の可聴域の刃音を出すには次の条件があります。

   1.手の内が確りしていること
   2.刃波、刃筋が直線的であること
   3.身に余る長い刀、重い刀、左右に湾曲している刀でないこと

 以上の3点が絶対的な条件であると思います。
 単に音をだすだけなら刀に樋を入れるのがよいでしょう。
 刀の樋は一般的に断面が三日月型に彫られていますが、これをコの字型にすると空気抵抗が大きくなり音が出やすくなります。さらに樋を二本にするとさらに音が出るでしょう。「二本樋」と云います。
 然しながら、刀は楽器や玩具ではありませんので、あまり音にこだわらない方がよいと思います。
 昭和55年頃のことと記憶しますが、故橋本正武範士が審査員を勤められていた際、耳に手を当てて刃音を聞く仕種をしたのでそれを見た受審者の間で

「橋本先生が刃音を聞いている。樋の刀の方が有利だ」

と云う話が広がり、以後の審査、大会などで会を重ねる毎に樋のある刀の使用者が増加しました。
 この事を橋本範士に申し上げたところ

「それは誤解を与えたようで申し訳なかった。以後は慎む。
 私が刃音を聞いたのは周波数の高い小さな音が出ているかをチェックしたのであって、樋音の大小をチェックしたのではない。道理で最近、音が賑やかになってきたと思った」

と苦笑しておられました。また、故檀崎範士に聞きましたところ

「樋のある刀でも音の出ない様に使うのが上手と云うものだ。最近汚い音で騒々しくなってきたのは、そのことだったのか?」

と檀崎先生も苦笑しておられました。
 私は樋のある刀、無い刀の両方を使用しておりますが、樋の無い刀は折りに触れて「ピッ」「シュッ」と云った周波数の高い小さな音を出すことがあります。この音は審査員席まで届くか否か解らない程度の小さなものです。
 樋のある刀は樋音は出ますが、これも折に触れて周波数の高い小さな音が出ることがあります。この時は不思議なことに樋音は極めて小さくなるか、聞こえなくなることもあります。
 以上のように刃音は周波数の高い小さな音ですので、音の大きさで審査員にアピールするのは難しいでしょう。音の大きさを求めるなら、前述のように樋を工夫した方が良いでしょう。



Q 審査会・講習会などで、刀を両手で臍(へそ)前に持ち、その状態で歩いている人を良く見かけます。 制定居合にはない動作なのですが、古流の作法なのでしょうか


 文章だけでは詳細が分りかねますが、おそらく写真(1、2)のような形であろうと私なりに判断させてもらいました。もし違っているようであれば、御一報ください。

 この持ち方は制定居合にはないと思います。
 私が居合道に入門したとき、檀崎範士から最初に教わったのが、この所持の仕方でした。もしかすると、夢想神伝流独自のものであるかもしれません。

 所作としては、左手親指を鍔にかけて刀を持ち、体の中央臍前で、右手が左手全体を覆い隠すようにします(写真1)。  夢想神伝流では携刀の状態で礼をしたり会釈する場合、さらに歩行する場合等に、この形で行うのが原則となります。

 故・橋本範士は、この形を取る際に鐺をなるべく体の外へ出さないよう、教えてらっしゃいました。 鐺を外に出すと、他者の脚や刀に当たる可能性が大きくなり、トラブルの原因になりかねない、という理由からです。

<写真1>

<写真2>





Q 「剣道と居合道は同じである」「否、違う」と正反対の意見を聞きます。どちらが真実なのでしょうか


 これは昭和50年代に大いに議論され、高段者の審査の筆記試験にも出題されたと記憶しております。

 結論から申しますと、「居合道と剣道の関係は鳥の両翼、車の両輪の関係にある。剣道※1は居合に始まり、剣道※2に中し、居合に終わるものである」と結論されたように記憶します。
  ※1 現在行われている剣道と居合道を併せて「剣道」と称している
  ※2 現在行われている剣道のみを指している
 これは、剣道は居合道で刀の操法等の基本を学び、現在の剣道で体の運用等の技術を学び、再び居合道で精神の高揚を図るものという事のようです。
 私の推測ですが、剣道も居合道も刀を運用し、目的は同じなので昔は同じ範疇に入れて「剣法・剣術」と称していたと思います。しかし、明治維新後の廃刀令で刀の持ち歩きが出来なくなり、居合道は自然と「剣法・剣術」から外されたのではないでしょうか。
 然し、居合道は厳しい環境の中で人知れず伝承されてきたものと思います。

 「剣道と居合道は異なる」と言われる方は、その所作、動作が剣道と居合道とで異なる部分があるのでそのように言われているのでしょう。
 「刀を扱う武道」という意味では、剣道も居合道も同じと私は理解しております。



Q 私は昨年、定年退職をしましたが、体力が衰えてきているのに気が付きました。何か始めようと思っておりますが、居合は高齢者でも大丈夫でしょうか


 「大丈夫」というのをどう判断するか難しいところですが、私なりにポイントを分類して説明します。


1.怪我、故障について
 居合が武道である以上、現代的にいえば格闘技ですから、怪我、故障について御心配されるのは当然でしょう。然しながら流派や指導者にもよりますが、居合道では殆ど怪我や故障の心配はありません。あっても「犬も歩けば棒に当たる」程度のものです。
2.身体の動きについて
 身体の動きはゲートボール、グラウンドゴルフ、スローテンポのダンスといった程度のもので、特にスピードや瞬発力、腕力を必要とするものではありません。
 但し、ある程度の筋肉の柔軟さが必要ですが、準備運動をしっかりすることで補えます。
3.健康について
 居合は立ったり座ったり歩いたりしますので、先ず足腰が丈夫になります。また、刀を上下に振りますので、関連する筋肉が柔軟になりますから、首や肩の凝りが無くなります。横の抜き付けでは胸の筋肉が広がりますので呼吸器系にも好影響を与えます。
 昔から「居合、剣道をやる人に感冒、肩凝りはいない」といわれています。


 私が実際に体験したことを例に挙げてみましょう。

 ・昭和40年代、私が五段の頃に高齢者の方が「居合を習いたい」と言って来ました。話を聞くと、ある学校の校長を務めていたが65歳で定年退職をしたが、全く運動をしておらず、筆より重いものを持ったことがないとの事でした。
 そこで、現在の用に摸擬刀が製作されていない時代でしたので、神社などで売っていたお土産用の子供の玩具「お守り刀」で稽古を始めました。
 師匠の檀崎範士2週間ほど指導しておりましたが、その老人の身体の固さ、動きの鈍さに音を上げたらしく「吉田君、君に任せるから面倒を見てやれ」と私にお鉢を廻しました。
 この老人は身体の動きは兎も角、やる気は充分でしたので、他の人よりは多く時間を費やしましたが身体に柔軟さが出てくるにつれ上手になり、私より先に七段に合格しました。後輩に先を越された形にはなりましたが、手を掛けた私にとっては非常に大きな喜びでありました。
 この事で解ったのは、人間は高齢になればなるほど、その筋肉は弾力性の無いゴムのようになり、遂にはスルメやビーフジャーキーのようになり健康を害して行くと言う事でした。後々、人を指導するに当たり、大きな収穫であったと思います。

 ・昭和52年、私は千葉県柏市の片隅に道場を建て、居合道の普及を図りました。
 入門した小学生の中に3人の喘息持ちが居り、一人は特に傴僂のように丸くなっておりましたが、何れも2年くらいで元の健康体に戻りました。

 ・同じく道場に3人のぎっくり腰の人が入門しました。
 1人は長距離トラックの運転手(当時25歳)、1人はタクシーの運転手(当時48歳)、もう1人はクリーニング屋(当時73歳)でしたが、何れも1年ほどで痛みが無くなり再発もしていないとの事で、運転手の2人は現在も剣道をしております。


 結論としては、前述のように居合はスピード、腕力、瞬発力も要らず、ゆったりした動きの中に殆どの筋肉の運動が含まれており、健康面のメリットはもとより、怪我や故障のリスクの少なさは全ての武道、スポーツを通じて最高のものでしょう。
 特に定年退職者や車の運転手、デスクワークに従事する方に是非お奨めしたい武道であります。



戻る