MALTIEMPOの夢


<かねた一郎によるコメント>

 この文章は、もともと青山東男の提唱する「マルティエンポ・プロジェクト」の概要を、キューバ現地の関係者に伝えるためにまとめたものですが、関心を持つ日本の鉄道ファンに読んでいただくため日本語版を公開することにしました。2009年に書かれており、現時点では現地の状況が若干異なってきている点もありますが、オリジナルのニュアンスを損なわないようにするため、文章には手を加えていません。機関車の状態などについては必要に応じて注をつけました。説明のために添えた写真は筆者=青山東男撮影で、すべて未公表のものです。


1.自己紹介-アメリカ型蒸気機関車に傾倒する

 初めに私・青山東男の蒸気機関車に関する自己紹介を致しましょう。私は1943年3月生まれで、間もなく66才になりますが、赤子のころから蒸気機関車に特別な興味を示していたと母親が言うほどの蒸気機関車好きでした。
 中学生になってHOゲージの模型を知ります。当時日本の商業の中心地であった東京銀座のある時計店が,HOゲージのアメリカ型の蒸気機関車を売っていることを知りました。東京には進駐軍の兵士が沢山目に付いた時期でしたから、アメリカ人の軍属向けの商売であったのかもしれません、時計店の2階が模型売り場になっていて、そこには模型の鉄道、いわゆるレイアウトがありました。そのレールの上をアメリカ型の蒸気機関車が、派手な色をしたBOXCARや色々な貨車と最後にCABOOSEを従えてぐるぐる回る姿を、私は時を忘れて眺めていたのでした。その店が私の中学校からも自宅からも近かったために、その店には本当に良く通いました。その店では米国の鉄道雑誌TRAINSやMODEL RAILROADERも、ガラス張りの商品ケースの中に入れて販売されていました。しかし、当時の外国為替は 1$が360円、国立大学卒業の学生の初任給が8000円程度の時代でしたから、これらの雑誌を中学生の私が買うことは出来ません。いつも店員のお情けで見せてもらっていましたが、このような環境に影響されて私の蒸気機関車を見る目、好みは次第にアメリカ型に偏ってゆきました。

 さて日本の鉄道は、英国の技術指導により1872年に初めて26kmの3フィート6インチゲージで開業されました。これらの路線延長と同時に、数多くの蒸気機関車が世界の工業国から輸入されました。
 しかし1924年には蒸気機関車の国産化が進み、品質も輸入品と遜色がないことから輸入禁止の措置がとられました。私の好きなアメリカ型で輸入されたものは BALDWIN、SCHNECTADY、ROGERS の3メーカーでした。中でもSCHNECTADYとROGERSの両社が供給した機関車は、写真でしか見ていませんがそれは素晴らしい出来栄えで、まさに感動的な美しさでした。


8100

岩内(茅沼炭化工業)の8119。テンダーが片ボギー

 しかし私には不満があります。これは発注した日本の鉄道会社の問題なのですが、アメリカ型にもかかわらず、テンダーがダブルボギーではなく片ボギーだったことです。その理由は、日本では何処にでも川が流れ、蒸気機関車に供給する水に心配がないため水タンクの容量を小さくすることが出来ました。

 一方この逆の現象として、日本には平地が少ないために駅などの施設で線路の有効長を長く出来ません。その対策としてテンダーの長さを短かくすることは理にかなっていたということもありました。
 日本が米国から輸入した蒸気機関車の中でも数例だけ、テンダーが長い本来のアメリカ型がありました。私たちが見ることが出来た本物のアメリカ型は日本国有鉄道の9200形でした。この機関車を輸入した1900年頃の日本は、極端な蒸気機関車不足であったことから、日本の役所はBLWに対して「出来るだけ早く納入してほしい」と要請したところ、その時国内向けに製造していた機関車の主要スペックを修正して『この機関車ならば早く納入できる』とBLWは回答したそうです。その結果、本当のアメリカ型が日本に納入されることになりました。その1両は忘れもしないBALDWIN1905年製2-8-0製造番号26842です。私は大学生最後の年にこの貴重な機関車を数日間かけて写真に収めることが出来たのは本当に幸せなことでした。

9200

空知川橋梁を渡る上芦別の9200。ボギートラックのテンダーで、長いボイラーとバランスがとれている


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