アドヴェンチャーゲームの演出技術についての覚書


 ――目次――
はじめに(↓)

第1章:現代AVGの包括的演出(↓)
  第1節:Littlewitch:FFD表現(↓)
  第2節:すたじお緑茶:立ち絵演出(↓)
  第3節:Purple software:動的演出(↓)

第2章:中間的展望(↓)

第3章:現在の主要な諸傾向(↓)
  第1節:立ち絵演出(↓)
   (1)ういんどみるにおける立ち絵アクション(↓)
   (2)ぱれっとにおける立ち絵の空間的演出(↓)
   (3)立ち絵演出の普及(↓)
   (4)立ち絵演出の諸相(↓)
  第2節:画面効果演出(↓)
   (1)先駆的ブランド:pajamas soft(↓)
   (2)ApRicoTにおける映像志向の演出(↓)
   (3)カットイン演出(↓)
   (4)立ち絵アニメーション(↓)
   (5)背景アニメーション(↓)
   (6)メッセージウィンドウ(↓)
   (7)音響演出(↓)
   (8)画面効果演出の普及(↓)
  第3節:動画使用演出(↓)
   (1)先駆的ブランド:Jellyfishとelf(↓)
   (2)Dreamsoft/SkyFishの動画演出(↓)
   (3)動画使用演出の普及(↓)
   (4)動画使用演出の諸相(↓)
第4章:AVGの様々な局面における演出(↓)
  第1節:アダルトシーンでの演出(↓)
  第2節:ゲームシステムによる演出(↓)
   (1)AVG作品におけるシステムと演出(↓)
   (2)SLG作品におけるシステムと演出(↓)
   (3)AVGパートとSLGパートとの複合演出(↓)
  第3節:キャラクターと作中世界に関する演出(↓)
   (1)キャラクターに関する演出(↓)
   (2)作中世界に関する演出 I(↓)
   (3)作中世界に関する演出 II:クロスオーバー(↓)
   (4)作中世界に関する演出 III:外的事象の参照(↓)
  第4節:AVGの基本構造に関わる演出(↓)
   (1)テキストに関して(↓)
   (2)グラフィクスに関して(↓)
   (3)音響表現に関して(↓)
   (4)選択肢とフラグに関して(↓)
   (5)その他の諸事例(↓)
   (6)小括(↓)
  第5節:その他のいくつかの観点(↓)
   (1)3D表現と演出(↓)
   (2)抑制的演出(↓)
   (3)演出と業界(↓)
  第6節:作品内容にとって内在的な演出(↓)

総括と展望(↓)

参照作品一覧(→別ページ
あとがき(→別ページ





 《はじめに》

 20世紀末にPCアダルトゲームは、一方ではWindows(95/98)の普及とともに商業的な生産力の基盤を獲得し、また他方で人物立ち絵+フルサイズ背景という描画システムの確立によって安定した表現力を確保し、さらには同人分野の隆盛(制作及び市場の両面)とも連動しつつ、創作の活発な一分野として開花した。そして21世紀に入ってからは、主としてアドヴェンチャーゲーム(AVG/ADV)形式に関心を集中させつつ、その人的、経済的、文化的な豊かさの中で表現上の様々な試みが為されてきている。ゲーム制作者たちによるその開拓と洗練の努力は十年を閲した現在も衰えることなく意欲的に継続されているが、しかしながらユーザーの側にはそのような表現開拓の重要性と可能性を受け止めて言葉に表していく活動はいまだ不十分なままであるように思われる。
 本稿は、現在の成人向けPCアドヴェンチャーゲームで利用されている様々な演出技術について、まずもってその多様な広がりを捉えることを最大限重視して概観を試みる。ただしその反面、枠組の厳密さや事例の網羅性は犠牲にされざるを得ないし、個々の作品の詳細な検討に立ち入ることもできないであろうが、演出技術の観点から現在の国内PCゲームの創造性の一局面に光を当てる本稿の試みは、そうした各論的展望や個別作品分析に対しても技術上乃至理論上の手掛かりを提供することができるだろう。

 本稿の構成をあらかじめ提示しておく。第1章では、特に重要だと考える三つのブランド(Littlewitch、すたじお緑茶、Purple software)を取り上げ、分析を交えつつ簡単な紹介を試みている。これら三者は、時期的に先進的であり技法的に先鋭的であるだけでなく、演出技術の使用が包括的でありかつ明確な様式性があるという点に大きな特徴がある。これらの作品は、現在のAVG演出の到達地点を把握するうえで最良の見本として役立つであろう。第2章では、演出重視傾向の歴史的経緯及び現状理解をいったん定位しておく。ただし、歴史観的展望の詳細には立ち入らない。第3章と第4章は本稿の中心的部分であり、表裏をなすかたちで、第1章で摘示した諸要素を実例に照らして吟味していく。一方で第3章では、AVGの各局面で適用される演出技法について、主要な方向性のいくつかを紹介し検討する(立ち絵演出、エフェクト強化、ムービー利用)。他方で第4章では、演出技法が適用される各局面(または各構成要素)の側から、可能なかぎり広汎な事例紹介を試みつつ枠組整理を行う。しかしいずれにせよ、本稿の趣旨はあくまでAVGの演出技術全般についての枠組的概観を与えることにあり、個別作品の演出効果に対する具体的評価はまた別の課題とされる。
 本稿の論述は主として20世紀末(Windows98時代)から2008年末までに商業発売された成人(男性)向け国内PCゲームに依拠しており、それゆえあくまで2008年末時点で通用し得たと思われるパースペクティヴにすぎない。2009年以降の作品を次々に視野に入れていけばこの論題の枠組とウェイトと射程を大きく変更する必要が生じてくるであろうが、そうしたアップデートを含めた展望は稿を改めて別に論じたい。



 第1章:現代AVGの包括的演出:Littlewitch、すたじお緑茶、Purple software》

 《第1節:Littlewitch:FFD表現》
 国内アダルトPCゲーム史にとって、LittlewitchFFD(Floating Frame Director system)は、まさに文字通りエポックメイキングな存在である。大槍葦人率いる同ブランドの第一作『白詰草話』(2002年)と第二作『Quartett!』(2004年)(註1のFFD表現は、当時の読者たちに――そしておそらく制作者たちにも――大きなインパクトを与えた。しかも、その時期的先進性と技術的水準だけでなく、その演出水準の高さにおいても、2008年現在においていまだなお最も優れたAVG作品に数えられている。
註1) 本稿において各作品の制作元及び発売年の情報に関しては、とくにことわりの無いかぎり、データベースサイトErogameScapeに依拠している。メーカーサイトへのリンクに関しても同様である。さらに本稿の趣旨に対しては、POV「演出の光るゲーム」が参考になる。

 アザナシの開発したFFDは、その名のとおり、自由度の高い可動フレーム命令を可能にするシステム(エンジン)である。このFFDシステムの下で実現されている主要な技術及び技法をあらかじめ列挙すると、以下のようになるだろう。
 ・立ち絵CGや背景CGをもカットイン的に処理する(――「立ち絵−背景」構造の解体)。
 ・それら大量のカットインCGの組み合わせ(――とりわけ、それらの動的な組み合わせ)。
 ・メッセージウィンドウの可変化(によるフキダシ化)、可動化、同時多重表示を行う。
 ・メッセージテキストの(キャラクター毎の)フォント変更及びサイズ変更。
 ・様々な視覚エフェクトの投入(による演出強化。とりわけ、動的なエフェクト)。
 ・擬音語を画像上で表示すること(=漫画的演出。さらにはそれらの動的表示)。
これらの技術を包括的に組織化したものが、Littlewitchの演出である。FFD演出の基本的特徴を要約するならば、様々なサイズのカットCGと、フキダシ化されたメッセージウィンドウとを、自由自在に組み合わせ動かしていくことによって、漫画の齣組みのような視覚的構築を行う技法だと言えるだろう。
 もちろん、上記の諸技術はLittlewitchのみに特有のものではなく、個々の技術としては他社作品にも見出される。詳しくは第3章で個別的に検討していくが、例えばメッセージボックスのフキダシ型処理はすたじお緑茶Lassなどが実行している。カットインCGの投入も、現在では数多くのブランドが実践しており、十分に普及した技法となっている。しかしながら、他のブランドと比べてLittlewitchが傑出しているのは、(1)最も早い時期からそれらの技術に着手した先駆者であること(2)それらの技術を同時に(つまり複合的に)適用していること、しかも(3)明確な方向性(漫画志向の様式性)をもって包括的、組織的、徹底的に実行していること、そしてその帰結として(4)きわめて高い水準で、精緻かつ効果的な演出を実現していること、にある。

 ただし、第三作『少女魔法学 リトルウィッチロマネスク』(2005年)以降のLittlewitchでは、当初のような徹底的なFFD使用は形を潜めていると言われる。一面ではおそらくそう言うべきなのだろう。たしかに『リトルウィッチロマネスク』(註2においては、高密度のFFD演出はアヴァンタイトル部分のみに留まっており、本編部分の画面構築は基本的に、標準的なAVGの仕様とほぼ同一である(――つまり「人物CG(立ち絵)+背景CG+メッセージウィンドウ」の組み合わせで表示されている)。しかし、前二作から継承された技術が様々なかたちで柔軟に活用されていることは明らかに見て取れる。例えばウィンドウのフキダシ化、複数の独自フォントの使い分け、テキスト表示方式の変更、CGのカットイン的使用、大サイズCGのスライド表示、各種エフェクト、等々。
 さらに『ピリオド』(2007年)及び『シュガーコートフリークス』(2010年)も、クラシカルな「立ち絵+背景」形式を採用しつつ、息の長いズーミングや静かなスクロールによって画面上には様々なムードが盛り込まれている。ここでは、以前のような賑々しい漫画的FFD演出の代わりに、カメラワークを強く意識させる瑞々しい映像的演出感覚が、テキスト進行と複雑に絡み合いながらゲーム進行全体を包み込んでいる。Littlewitchが到達した、AVG表現の洗練された境地である。
註2) 『少女魔法学 リトルウィッチロマネスク』のゲームデザイン全体に対する評価は、別掲の拙稿、とりわけその3章3節以下を参照。本稿の基礎となった問題関心を含んでおり、また『少女魔法学 リトルウィッチロマネスク』全体の重要性についての紹介と検討を試みたものである。


 《第2節:すたじお緑茶:立ち絵演出》
 すたじお緑茶も、AVGの枠内での表現技法の拡充をさまざまに試みてきたメーカーである。同社は、『巫女さん細腕繁盛記』(2004年)においてすでに、立ち絵及び顔アイコンの活発な動的操作を試みていた(――アイコンアクションそれ自体は、Liar-soft『行殺新選組』[2000年]がすでに実行していたものであるが)。つづく『プリンセス小夜曲』(2005年)では、メッセージウィンドウのサイズ及び配置位置を自由自在に変化させることにより、漫画のフキダシに相当する機能をメッセージウィンドウに付与した。さらに『片恋いの月』(2007年)では、ワイド画面(1024*600のWSVGA解像度)の広がりを利用しつつ、手の込んだスクリプト演出はほとんど限界に達している。立ち絵の動的操作(註3は精緻を極め、背景画像をも含めた複雑な視覚的処理が行われており、さらには音響定位に至るまで、綿密に作り込まれた包括的な表現空間が展開されている。
註3) 以下、本稿にいう「立ち絵の(動的)操作」「立ち絵アクション」とは、スクリプト上の命令によって立ち絵画像に対して拡大縮小、位置移動、回転、フェードイン/アウト等を行わせ、それによってキャラクターの様々な動作を動的に視覚表示するアプローチを指すものとする。立ち絵それ自体がジェスチャー(身振り仕草)を行うわけではない。ただし、差分連続表示によって立ち絵に擬似的な振り付けを与えている作品もあり、また目パチ口パク表現のように部分的なアニメーションが実行されているものも確かに存在する(――それらについては3章2節4款[↓]で後述する)。

 現在の緑茶演出は、技術的には、スクリプト命令による活発な立ち絵操作と、メッセージボックスのフキダシ化の二つの組み合わせによって成立している。もちろん、立ち絵操作それ自体は現在広汎に普及しつつある技法であるし(cf. 3章1節[↓]、またメッセージウィンドウのフキダシ化もけっして類例が無いわけではない(――pajamas softや上述のLittlewitchの方が早い)。しかし、現在のPCゲームシーンの中で『片恋いの月』の演出様式が斬新だと評価されるべき特長が、明らかに存在する。さしあたり(1)緻密さ(2)複合効果(3)使用場面の三点について、以下にその概観を試みておく。

 (1)立ち絵操作の緻密さについて。例を挙げて説明しよう。例えばインラインスケートを履いたキャラクターが主人公の周囲を滑り回るシーンがあるが、この場面でそのキャラクターの立ち絵は、拡大縮小と平面移動を同時に行いながら、つまり三次元的移動を表現しながら、スムーズに動き回る(――その柔軟な表示性能は、『マブラヴ』(2003年)以降のageAGES[Age Global Effect System]にも匹敵するだろう)。また、例えば人物が椅子に座る時、その立ち絵はただ単に椅子のある場所へ移動するだけでなく、手前の机と背後の背もたれの間にきちんと入り込む(――背景画像自体がレイヤー分割されているのであろう)。これらは実例のごく一部に過ぎないが、これほど精緻なスクリプト描写は、立ち絵操作が普及しつつある現在においても、きわめて稀である。そしてそれは、AVG表現の写実的説得力を増しているとともに、それ自体で視覚的な楽しさをプレイヤーに提供している。

 (2)複合効果について。『片恋いの月』における立ち絵アクションは、それ単体ではなく、フキダシ型メッセージ表示及びワイド画面に伴われて成立している。これら三者の複合的利用こそは、緑茶演出をはっきりと際立たせていると言えるだろう。すなわち:
 (α)立ち絵アクションとワイド画面の連動。立ち絵アクションは、ワイド画面の広がりを存分に享受することによって、いっそう活発にいっそう大胆に行われる。他方で、立ち絵が画面全体を動き回るおかげで、ワイド画面の左右が単なる余剰スペースとして放置されることが無く、その広がりが有意義に活用される。
 (β)ワイド画面とフキダシ型テキストボックスの連動。ワイド画面は、メッセージボックスが可変可動であることによって、画面レイアウトの窮屈さを免れる(――画面下部がウィンドウによって常に圧迫されるということが無くなる)。そしてフキダシ化したメッセージボックスは、画面レイアウトからの拘束を抜けだし、純粋に機能的な存在として自由に利用されるようになる。
 (γ)フキダシ型テキストと立ち絵アクションの連動。フキダシが立ち絵の位置に追従して表示されることによって、立ち絵をどれだけ操作しても、あるいはどれだけ多くの立ち絵を同時表示しても、発話者が分からなくなるということが無くなる。それはまた、フキダシ型ウィンドウの性能を最大限引き出す使い方でもある。しかも、立ち絵アクションによってキャラクターの運動が視覚的に描写されるため、テキストの描写負担が軽減され、テキストは地の文を切り詰めてキャラクターの台詞表示(すなわちフキダシ的機能)に集中することができるようになる。
 結局のところ、「立ち絵アクション」「ワイド画面の採用」「フキダシ型メッセージウィンドウ」の三つの要素が機能上きわめて効果的に噛み合っている稀有な(管見のかぎり2008年時点で唯一無二の)実例が、この『片恋い』のシステムである。亞部まとま(ディレクター兼演出担当)と秋山構平(プログラマー)によるAVG表現の現代的成果として銘記されるべきであろう。

 (3)使用場面について。これらの複合的表現が、それが最大限の効果を発揮しうる状況で用いているという点が指摘されるべきだろう。大多数のAVGのほとんどの場面が、せいぜい二人か三人の会話であるのに対して、『片恋いの月』においては最大11人(主人公を含めれば12人)ものキャラクターが同時に表示されるシーンがある。このような多人数状況は、おそらくこの緑茶型システム以外ではほとんど不可能だろう。ワイド画面だからこそ多人数の同時表示に堪えうるのであり、そしてそれゆえ一々発言させずとも各キャラクターがそこに居合わせていることが自然に表現される。また、細やかなスクリプトワークによって各キャラクターの立ち絵が立体的な配置で表示されるからこそ、多人数が同時表示されても画面が混雑せずにいられ、また画面が平板さの印象を与えずに済む。さらに、固定的なメッセージウィンドウではなくフキダシ型ウィンドウであること、そしてフキダシメッセージが多重表示され得ることも、多人数会話をAVGの枠組で成り立たせるうえできわめて重要な役割を果たしている(――実際に、複数の会話が同時並行的に進行するダイナミックな描写すら存在する)。
 これまで緑茶作品は、それぞれ特定の集会場所(サロン)――『巫女繁』では神社、『プリンセス小夜曲』では魔女の塔、『片恋い』では「民研」部室――を主要舞台としているが、このように多数のキャラクターが活発に動き回る状況を扱っているからこそ、最大限の演出効果が発揮されているのである。その選択はおそらく意図的、意識的なものであろう(――ただし、多人数の会話を捌ききるために立ち絵アクションが開発されたのか、それとも立ち絵アクションを活用するためにそういう舞台が選ばれたのか、どちらが先だったのかは判らないが)。

 全体的にみて、この『片恋い』の表現空間は、現時点でのAVG表現の最高峰に数えられるべきものであろう。密度の高いスクリプト演出は、『マジカライド』(2008年)及び『片恋いの月えくすとら』(2008年)でも維持されている。ただし『マジカライド』は、ActGパートを含んでいる都合ゆえか、この時点での標準的な解像度であるSVGA(800*600)に復帰しているが、それでもAVGパートでは画面の左右スクロールを行うことによって横幅の広がりを確保している。
 後日追記:最新作『恋色空模様』(2010年)においては、これまでの緑茶演出に加えて、とりわけイベントCGに関わる演出が強化されているのが見て取れる。具体的には:(1)レンズフレアや木洩れ日などの背景アニメーションをイベントCGに付加する。(2)表情変化だけでなくポーズ変化差分をも、イベントCGの中で多数使用する。(3)画面サイズよりも大きいイベントCGを用意し、スクロール操作や拡大縮小操作を多用する。(4)イベントCGをレイヤー分割し、それぞれの層を個別に操作(移動、拡大縮小)させる。(5)イベントCGの表示中にも、オーバーラップ画像や他の登場人物の顔アイコンを追加表示する。(6)デフォルメされたイベントCG(いわゆる「SD絵」)を多用し、しかもそれらをアニメーションさせる。これらの加工によって、単調になりがちなイベントCG場面に対して、豊かな視覚的抑揚が与えられている。


 《第3節:Purple software:動的演出》
 Purple softwareは、『プリミティブ リンク』(2007年)の頃から、演出技術の面で急速な進化を遂げている。この作品では、キャラクター立ち絵に対して拡大縮小、移動、フェードイン及びフェードアウトといった様々な動的操作を施しつつ、それらをWSVGA画面全体での拡大縮小及びスライド(つまりカメラとしてのズーミング及びパンニング操作)と組合わせることによって、伸びやかに広がる空間的演出を実現している。WSVGA解像度の採用は、同社の『秋色謳華』(2005年)に続くものであり(註4、その舞台設定と併せてきわめて清新な印象を与えた。魔法エフェクトなどの個々のヴィジュアルエフェクトの軽快な処理にも見るべきところがあり、音響演出(各種SE使用)も優れている。OPムービーへの注力も耳目を驚かせた。
 つづく『明日の君と逢うために』(2007年)では、立ち絵のスクリプトアクションをいっそう精緻化しつつ、さらに背景画像の大胆なアニメーション化をも推し進めて、業界に大きな衝撃を与えた。システム設定画面で「背景動画」と称しているもので、電車の窓外アニメや揺れる吊革、あるいは波打ち際や湖水面のゆらめき、地面を叩く豪雨、さらにはTV画面アニメ――前作のOPムービーが流れている――がある。そしてこれらの技法をつうじて、後述のApRicoT(cf. 3章2節2款[↓]とは異なるアプローチから、本作はアニメ作品に近似するほどの表現密度をAVGの枠内において達成している。しかも、これらの画面演出に際して画像の拡大縮小操作は非常になめらかであるし、立ち絵のパターン差分も豊富に投入されている(――主要キャラクターの立ち絵はそれぞれポーズ×服装×表情で100パターンにも及び、さらに時刻差分[色調変化]とサイズ変更[拡大縮小]が加わる)。さらにそれ以外の本作固有の演出としては、場面転換の鮮やかさも特筆に値する。
註4) 管見のかぎりでは、今世紀の年齢制限付き国内PCゲームで初めてワイド画面(4対3よりも横長のアスペクト比のウィンドウサイズ)を採用したのは、2005年発売の『秋色謳華』(1024*614解像度)である。そしてそれに続くのが、『マブラヴ オルタネイティヴ』(2006年)以降のage各作品(XGA環境を要求するWSVGA画面)である。さらにすたじお緑茶『片恋いの月』及びそのファンディスク『片恋いの月えくすとら』で横長画面(WSVGAサイズ)を導入し、Purple softwareも『プリミティブ リンク』においてふたたびWSVGA相当のウィンドウサイズを採用している(――ただし、『明日の君と逢うために』以降のPurple softwareは、再び4対3比率のSVGAに回帰している)。
 2008年下半期に発売された作品の中では、『ティンクル☆くるせいだーす』リリアン。XGA環境を必須とする1024*614解像度)、『水平線まで何マイル?』ABHAR。1024*576解像度を推奨)、『SiN 黒朱鷺色の少女』Studio Mebius。1280*720解像度)などがワイド構成を採用した。2009年以降もワイド画面構成は、(それが支配的な型になるかどうかはともかくとしても)普及していくものと予想される。
 各作品の画面表示機能の細目について検討したページとしては、ウェブサイトエロゲについてのあれこれ内のゲームソフトのワイド対応・デュアルディスプレイ対応比較が有益である。また、上記ページで情報提供元としてクレジットされているウェブサイト「電波とどいた?」は、きわめて早い時期から、そして技術的実践的立場から、AVGの演出面への関心を促してきたサイトであり、PCゲームの主要なエンジンのリストスクリプト演出の話など、システム面に関して示唆に富む多くの記事がある。


 小括。Littlewitch、すたじお緑茶、Purple software、この三社の作品は、その緻密かつ多面的な演出実践の豊饒さによって、2008年現在のAVGの枠内での最も洗練された表現に数えられるであろう(註5。ただし、その方向性は三者三様に異なっているが。Littlewitch作品の複雑かつ自在な画面構築は(とりわけ初期作品に関していえば)漫画の齣組みから摂取したものであろう。他方でPurple softwareの写実的な動的演出は明らかに映像作品(とりわけアニメ)を範としてその様式感覚及び表現文法に立脚している。すたじお緑茶の空間的演出については、他分野の特定の表現枠組からの影響を見出すことは困難であり、さしあたってはAVGの内発的な(換言すれば、技術的な)発展の率直な成果だと見做すのが妥当であろう。
註5) ここでageを無視したままでいることは本来許されまいが、このブランドに対する検討及び評価は後考に俟ちたい。本稿がageに関する単独の章節を設けていないのは、その重要性を低く見積もっているからではない。そうではなくて、その重要性のゆえにいっそう綿密な再検討が必要だと考えるからである。また同様に、pajamas softminoriに対しても、本来ならばブランド全作品に亘る包括的な分析及び評価が試みられるべきであったろう。しかし筆者の能力を超えるため現時点では断念せざるを得ず、本稿ではいくつかの断片的な言及にとどまっている。

 後日追記。個別作品について言えば、『タペストリー』light、2009年)の表現形式はとりわけ注目に値する。2009年時点で最新のこの作品においては、本稿が紹介する様々な技術が、あらためて総合的に使用されているのが見て取れるからである。具体的には、ワイド画面の活用、背景画像のズーム及びスクロール(カメラワーク的操作)、豊富な立ち絵ヴァリエーション、立ち絵の動的操作(移動及び拡大縮小)、フキダシ型テキスト表示(しかも縦書き表示である)、文字フォント操作、デフォルメ絵の使用、等々。表現の生硬さは散見されるものの、投入されている技法の豊かさに関しては少なくともLittlewitchに匹敵しうると思われるこの作品が、どのような評価を獲得するであろうかは注目に値するし、そしてどのように評価すべきかは我々プレイヤー(作品の受け手)にとっての課題でもある。



 第2章:中間的展望

 言うまでもないが、これら三社がAVGにおいて演出強化を行った最初の世代だということではない。降雨降雪アニメーション、目パチ口パク表現、背景エフェクトなどの技法は、2000年代初頭の頃にはすでに行われていた(――LeafStudio e.go!アトリエかぐやF&Cなど枚挙に暇が無い)。しかし近年のAVGにおける演出重視傾向は、おそらく新たな段階に入っている。age(アージュ)の躍進(『君が望む永遠』、2001年)と並んで、とりわけ『世界ノ全テ』たまソフト、2002年)が、演出性を前面に押し出した作品の嚆矢として、文字通り画期的であった。この作品が発売されたのは、『ONE2』BaseSon)、『うたわれるもの』Leaf)、『水月』F&C/FC01)と同日――名高い2002年4月26日――であるが、この日付は、Leaftactics/keyによって主導されてきた前世紀末以来の大きなブームが一つの限界を迎えた瞬間だとされる。これ以降の国内アダルトPCゲームは、「学園恋愛系のクリシェ化」「ファンディスク制作の増加」「大作志向」「技巧的なストーリーの追求」「バトル要素の導入と前景化」「アダルト嗜好の細分化」「SLG系ブランドの少数化と専業化」といった様々なベクトルへの分散的先鋭化が進行していく(註6ことになるが、その節目となる時期にすでに「演出重視傾向」の先触れも出現していたという符合は興味深い。
註6) ただしこの展望は、6年半を経過した2008年末時点ではすでに通用しなくなりつつある。例えば学園恋愛系は、もはやそれ単体では商業的アピールとして成り立たなくなっているように思われる。「魔法学園」「上流学園」「女学園入学」等のサブジャンルが発生してさまざまに細分化されつつあるのは、そのことを反映するものであろう。また、ファンディスク制作の猖獗は収まりつつあるし、『マブラヴ』age、2003〜2007年)と『ef』minori、2006〜2008年)の長大な連作も完結した(?)。他方で『真・恋姫†無双』BaseSon、2008年)や『ToHeart2 AnotherDays』Leaf、2008年)に見られるように、むしろ従来型のFDや続編とは異なるかたちで作品世界を継続展開する新たな動きが現れてきている。技巧的なストーリーの追求は、作為的で不自然きわまりないルール設定に依存するようになり、しかもその都度の「神様」キャラクターにそのツケを回してしまうことに開き直ってすらいる。いわゆる「燃え」志向も、「泣き」志向の歴史的推移と同様に、すでに浸透と拡散を果たしたように見受けられる。アダルト要素志向に関しては、低価格帯作品及びダウンロード販売の増加が指摘されるであろう。非AVG作品については、新規メーカーの参入が時折見られるものの、依然として玉石混淆の観が強く、慢性化した自家中毒的停滞を克服するには至っていない。

 この十年来の演出志向の潮流は、成人向けPCゲーム分野に対して広汎に波及し、そして深く浸透してきている。その発展過程について、本稿は主として個別の演出技術の実験及び増強に焦点を当てていくが、それは事態の一面にすぎない。様々な演出手段の量的拡張だけでなく、個々の作品の中での様式的洗練が進展していることもまた、指摘されるべきであろう。演出諸技術の利用様態について、現在のAVGシーンには、すでにいくつかの特徴的な方向性が見て取れるまでになっている。(a)一つには、ういんどみるぱれっとすたじお緑茶等が追求してきた、スクリプトワークによる立ち絵振り付け演出を基盤とした、AVG描写精緻化の試み。(b)第二に、Littlewitchproject-μに見られるような、複雑な画像組み立てによるパッチワーク的画面構築の手法。(c)第三に、elfSkyFish、そしてJellyfish及びOverflowに至るまでの、アニメーション導入の様々な試み、(c')あるいはLeafStudio e.go!ソフトハウスキャラといったSLG系ブランド群が得意としてきたチップアニメ表現。(d)そして最後に、ILLUSIONTEATIMETech Arts3D等によって主導されてきた、AVG表現の包括的な3D化の流れ。

 演出技術の観点に戻れば、現今では主として「(1)スクリプト操作(主に立ち絵に対しての)」、「(2)画面効果(エフェクト)の強化」、「(3)動画(ムービー)素材の利用」による演出強化が、多くのブランドによって様々に試みられている。次章ではこの三者それぞれについて、ブランド及び作品の具体例を挙げつつ検討していく。



 第3章:現在の主要な諸傾向

 《第1節:立ち絵演出》
 立ち絵を用いた演出操作には、以下のようなものがある。(a)立ち絵の差分切り替え。すなわち、立ち絵画像の表情差分やポーズ差分を適宜切り替えることで、その都度の状況表現を精緻化する。(b)立ち絵アクション。すなわち、立ち絵画像に対して移動、回転、拡大縮小の動的操作を加えることによって、その人物の身振りや感情変化を表現するもの。(c)立ち絵の空間的演出。すなわち、側面立ち絵や背面立ち絵を用いることによって、あるいはサイズの異なる立ち絵画像を使い分けることによって、登場人物相互の位置関係等を表現するもの。(d)立ち絵アニメーション。例えば目パチ口パクを、立ち絵画像に付加するもの。(e)その他(――例えば立ち絵のフレームイン/アウト時の演出的処理、あるいはデフォルメされた立ち絵を使用し、画像立ち絵に各種エフェクトを付加するなど)。ただし、(d)及び(e)については次節(↓)で扱うものとし、本節では主に(a)(b)(c)の要素に着目する。


 (1)ういんどみるにおける立ち絵アクション
 立ち絵アクション、すなわちスクリプトによる立ち絵の動的演出に関して最も先駆的とされるのは、『結い橋』ういんどみる、2002年)であろう。スクリプトによる立ち絵の動作表現の文法的基礎は、『結い橋』が一息に作り上げたと言っても過言ではない。たとえば、首肯や挨拶を示す上下動、否認を示す左右振動(ただし喜びを示す場合には緩やかなスウィングとなる)、驚きを示す瞬間的な飛び上がり、不満や落胆を示す下方移動、等々。
 このブランドの方向性は、CatSystem2エンジンの下で、『はぴねす!』(2005年)及び『ツナガル★バングル』(2007年)においていっそうの発展を見るに至っている。これらの作品においては立ち絵振り付けは、その都度のキャラクターの動作や感情を表現するだけでなく、現代AVGの基本構造の中に深く根を下ろした必須的表現要素となっている。とりわけ、複雑化した視覚表現の中にあって、立ち絵差分切り替えは個々の台詞の話者を識別させることに大きく寄与しているという点において(註7
註7) 散録イリノイア内の記事『今、誰がしゃべっているのか?』のエロゲ的表現の分類と考察とおくのおと出張版内の記事立ち絵の変化と声についてを参照。


 (2)ぱれっとにおける立ち絵の空間的演出
 ぱれっとにおける多彩な立ち絵演出は、第二作『復讐の女神』(2003年)及び第三作『愛cute!キミに恋してる』(2004年)においてすでにはっきりと見て取れる。当時としてはきわめて珍しいことに、正面立ち絵だけでなく側面立ち絵と背面立ち絵(つまり横向き姿と後ろ姿)をも使用しており、それらを組み合わせることによって、キャラクター間の空間的位置関係や視線方向を柔軟に表現している。例えば、大きいサイズの背面立ち絵と小さいサイズの正面立ち絵を並べて表示することによって肩越しショットを表現し、またあるいは複数の画像オブジェクトを多重スクロールすることによって擬似的な奥行き表現を行っている。同一キャラクターの立ち絵表示位置を台詞毎に変更することによって一人芝居の様子を表すといった遊戯的表現も試みられているし、音響面でも音声が左右に振られている箇所がある。とりわけ『愛cute!』に登場する小さな妖精「チョコ」には、豊富なグラフィックパターンが与えられており、四枚の羽根をアニメーションさせつつ画面内を縦横無尽に飛び回り、挙げ句はメッセージウィンドウに腰掛けすらする。つづく『MERI+DIA(マリア・ディアナ)』(2005年)においても職人芸的なスクリプト演出は維持されており、さらに、通常音声と同時に副音声をSE扱いで重ねて出力するSE的音声表現(多重音声技法)も導入されている(註8
註8) ただし、この多重音声技法を含め、音声演出の開拓に関してはLiar-softの方が先駆的であり、かつ技巧的に用いている。とりわけ『Forest』(2004年)と『SEVEN-BRIDGE』(2005年)のそれが名高い。なお、音声演出に関しては4章4節3款(↓)であらためて検討する。
 さらに『えむぴぃ』(2007年)も、様々なポージングの立ち絵パターンを大量に投入し、それらをスクリプトレベルで自由自在に配置し変化させていくことによって、5人のメイド研修生たちの賑々しい会話空間を鮮やかに演出している。少なくとも立ち絵スクリプト演出に関して言えば、『えむぴぃ』の表現密度は現在のPCゲームの優れた達成の一つに数えられるであろう。のみならず、この作品に関しては、様々な視覚的演出が奔放に盛り込まれている点も見逃せない。行雲、降雨、雷光、海面の輝き、星の瞬きといった背景アニメーション。擬音文字等の視覚表示。章構成と次回予告演出。TV画面を模したテロップ表示。メッセージウィンドウの狙撃破壊。さらにはメッセージテキストを破砕するというギャグ演出すら敢行されている。それとともに、豊富なSE演出、音声の左右定位、多重音声表現といった各種音響表現もいっそう徹底的に使用されている。また、キャラクタープロフィールや好感度を表示するシステムサポート(つまりシステムによる演出)が設けられているのも、デビュー作『はちみつ荘deほっぺにチュウ』(2002年)以来の、同社の伝統である。AVGとしての総合的な演出水準はすたじお緑茶やPurple softwareにも匹敵するだろう。
 同社の『もしも明日が晴れならば』(2006年)では、作品内容に対応して画面演出は比較的穏健であるが、立ち絵アクションと並んでいくつもの動的エフェクトを盛り込んでおり、背景スクロール、副音声表現、音声パンニング等も行われている。さらに『さくらシュトラッセ』(2008年)には、『えむぴぃ』の各種技術がフィードバックされているのが見て取れる。ここでは立ち絵変化や各種の記号的エフェクトが、作品のムードに即しつつ煩瑣にならない程度で柔軟に使用されている。


 (3)立ち絵演出の普及
 ぱれっと作品はこの方向性での代表例であるが、しかしこれ以外にもこの技法を活用しているブランドは相当数に上っており、もはや網羅的に挙げることが不可能ほどである。事情の一つとしては、既存の立ち絵素材に対して定型的なスクリプトコマンドを与えていけば良いという敷居の低さもあるだろう(――新たな画像素材を作り起こすコストが掛からないし、スクリプトを規格化しておけば制作過程が効率化できる)。また、どのような場面でも使用できるという汎用性の高さもあり、とりわけ日常シーンのような動きの乏しい場面に視覚的抑揚を与えられるというメリットは大きいだろう。それに対して(後述の)エフェクト強化は使用場面が限定される場合がある(バトルシーンや魔法発動描写など)し、また動画挿入はコストが嵩むうえ転用も困難だろう。


 (4)立ち絵演出の諸相
 ただし、一口に「立ち絵演出」といっても、その具体的な演出様式は様々に異なる。
 すたじお緑茶『片恋いの月』)は、拡大縮小及び移動を伴うダイナミックな立ち絵操作を好んで実行し、立ち絵の全身を最大限活用してあらゆるアクションを動的に視覚表示しようと試みている。サイズの異なる立ち絵を並べることによって空間性(奥行き)を強調する演出も多い。ただし、あらかじめワイド画面を採用している分、画面全体での動き(つまりカメラワーク的処理)は少ない。さきに述べたように、多数のキャラクターが登場する賑やかなサロン的状況を描写するのに適したスタイルである(cf. 1章2節[↑]
 ぱれっと『えむぴぃ』)においては、側面立ち絵や背面立ち絵を含む豊富なポーズ差分を利用して、その都度の位置関係を表現すること(そしてそれとともに、キャラクター相互間の視線を交錯させること)が重視されている。立ち絵それ自体に運動を行わせることは少なく、あるとしても瞬間的記号的なアクション(ツッコミ動作など)にとどまる。その代わりに、画面構成上の工夫や各種演出素材の利用によって、画面上の視覚的ダイナミズムが創出されている。ここでは、状況(舞台)全体を観客の前に常に示しつつ、登場人物たちのコントに最大限の演出効果を与えるという、いわば演芸的な見せ方が目指されていると言えるだろう(cf. 本節2款[↑]
 Purple software『明日の君と逢うために』)の立ち絵操作は、個々の身体動作(アクション)を視覚表現するよりも、登場人物の立ち居振舞い全体を視覚表示する傾向が見られる。例えば「歩行」を示すなめらかな波形移動を立ち絵に行わせるのがその典型である。ここで歩行表現それ自体は、特定の身振りや感情を表現するものではない。しかし、会話と並行してそうした立ち絵操作が継続的に行われることによって、状況表現全体が自然な説得力を持つようになる。会話内容に即したその都度の身振り表現や感情表現は、スクリプトアクションよりもむしろ立ち絵の差分変化によって賄われている(――表情差分だけでなくポージングのパターンも多い)。このほか、主人公の視点移動を示すカメラワーク(すなわち背景画像を含めた画面全体のスクロール操作)も頻繁に行われている。立ち絵の「見切れ」表現によって主人公の視界を意識させる演出も多用されている。全体的にみてリアリズム(写実)寄りのスタイルであり、アニメの表現文法との類似点が散見される(cf. 1章3節[↑]
 ういんどみる『はぴねす!』)にとっては、立ち絵演出はもはやなんら特別なものではない。同社作品における立ち絵操作は、ほとんど陳腐と思われるほどに単純明快なものばかりであって、殊更に人目を引くようなものではなくなっている。ここでは、高度に規格化(文法化)された振り付けが、AVG表現の自明の一要素として完全に消化され内在化されており、その日常描写と同様にまったく日常的なものとしてAVG表現の中に溶け込んでいる(cf. 本節1款[↑]
 日常の会話劇だけでなく、非日常的な活劇の場面をも、立ち絵のスクリプト操作は様々に彩ってきた。サスペンスシーンにおいて、サイズの異なる立ち絵を用いた奥行き表現はキャラクター間の距離関係を心理的次元においても表現し、また互いの視線方向を時には違え時には交錯させる立ち絵配置はその都度の各キャラクター間の心理的姿勢をはっきり印象づける(『復讐の女神』)。アクションシーン(バトルシーン等)においても、スクリプトによる立ち絵の動的操作は、キャラクターのアクションを視覚的に具体化してみせるだろう。
 Favorite『はっぴぃ☆マーガレット!』[2007年])では、機敏なカメラワークと連動しての、立ち絵のフレームイン/フレームアウト表現に大きな特徴がある。立ち絵操作による動作描写は上記各社と比べると控えめであるが、豊富な立ち絵パターン変化がそれを補っている。演劇志向の会話劇に適していると言えるだろう(cf. 本章2節2款の註9[↓]


 《第2節:画面効果演出》
 立ち絵素材のスクリプト操作による動的演出のほかにも、様々な視覚的演出が行われている。もちろんそれらも原則としてスクリプトを通じて個別的に記述され実行されているのだが、本節では立ち絵操作以外の様々な画面効果(エフェクト)表現に焦点を当てる。


 (1)先駆的ブランド:pajamas soft
 これに関して特に先駆的であったのは、大野哲也が制作総指揮を執るpajamas softである。『パンドラの夢』(2001年)の時点ですでに、現在に至るAVG演出の正統的な基本路線が明確に指し示されている。すなわち、多種多様なエフェクト使用(表情エフェクトやフォーカシング、そしてそれらの動的表示)、背景アニメーション(降雨等)、画像素材の多重スクロールとカメラワーク的演出、デフォルメ画像の使用、テキスト表示の加工(フキダシ型、縦書き表示、フォント操作)、ヴォーカル曲の活用、音響と画像の同期配慮、環境効果音、等々。その意欲的なループゲームシナリオとともに、AVG演出史上の重要な里程標的作品となっている。
 そして、この方向性は、『プリンセスうぃっちぃず』(2005年)、『プリズム・アーク』(2006年)といった一連のファンタジー作品において、よりいっそう充実し洗練された形で具体化されていくことになる。ヴィジュアルエフェクトの拡充を初めとして、アニメーション(動画素材)の投入、カットイン(フキダシ型カットインを含む)、多重スクロール演出、各種漫符表現、デフォルメ画像(SD画像)の使用、目パチ口パクの実装、各種立ち絵演出、立ち絵ヴァリエーションの強化(側面立ち絵等)、背景美術の緻密化と背景アニメーション、テキストボックスの形状変化、章構成(話数制)スタイル、アイキャッチ等々、現在も行われている技術的演出の多くを自らのものとして使いこなし、それによってこのブランド特有の華やかな世界を形作っている。


 (2)ApRicoTにおける映像志向の演出
 CROSSNET(とりわけTOMA監督のApRicoTブランド)もまた、システマティックな画面効果を追求し実現してきた先駆け的存在である。『DEEP VOICE』(2001年)及び『Maple Colors』(2003年)は、まさにLittlewitchの勃興と同時期の作品である。前者においては、SE(効果音)による様々な描写及び演出を試みつつ、同時にフォーカシング演出や立ち絵の目パチ口パクが積極的に導入されていた。そして後者の作品は、フォーカス表現や目パチ口パクを再度実行しつつ、さらに大量のグラフィクス(画像素材)を粘り強く繋ぎ合わせていくことによって動画的印象に肉迫するものであり、映像志向の演出意識を濃厚に表出する力作となっていた。
 『AYAKASHI』(2005年)は、これら先行作品の成果をさらに深化させ、明確な演出意識の下で様々な演出技術を効果的に使用している。なかでもバトルシーンにおけるヴィジュアルエフェクトの数々は、映像作品を連想させる目まぐるしいカット切替え演出に相伴われて、ほとんどアニメ作品になる寸前の水準にまで到達している。のみならず、超能力表現の各種エフェクト、降雨や桜吹雪のアニメーション、SEによる状況描写、あるいはSE的な音声使用、頻繁なカット転換、カメラ移動とフォーカス移動、立体的立ち絵表示、目パチ口パク、フラッシュバック演出、そしてウェイトによる「間」の表現に至るまで、その貪欲で野心的な掘り下げはあらゆるところで行われており、2008年現在においてもなお、最も意識的で最も徹底的な表現を持つPCゲーム作品の一つに数えられている(註9
註9) CROSSNET社では、水間ホシひとディレクターのFavoriteブランドの画面演出も優れている。『ウィズ アニバーサリィー』(2006年)及び『はっぴぃ☆マーガレット!』の演出様式は、上記ApRicoTブランドと異なるが、「Favorite View Point System」エンジンの柔軟な画像表示能力を生かして、立ち絵の立体的配置(異なるサイズで表示することによって奥行きを表現する)、立ち絵の動的操作(多数のキャラクターが様々な仕方で小気味良くフレームイン/フレームアウトする)、背景画像のなめらかなカメラ移動及びフォーカス操作(立ち絵操作と連動しつつキビキビと変化していく)、各種エフェクトなどを駆使している。その執拗なまでの画面スクロールは映像的カメラワークを強く意識させ、それゆえいわば長回しカットを見ているような臨場感がプレイヤーに印象づけられる。「環境効果音」の使用も、聴覚上の場景表現としてきわめて興味深い手法であり、実際にも高い効果を挙げている。そしてこれらの技術によって、華やかで活気溢れる多人数会話の様子がのびやかに活写されている。AVGの表現空間のトータルデザインに関しては、ApRicoTブランドに比肩すると言ってよいだろう。


 (3)カットイン演出
 ApRicoTやLittlewitchと類似のアプローチを敢行した実例として、project-μの一連の「ノヴェル・シアター」作品も挙げられる。視覚表示に関してはカットインCGの箱根細工的組み立てを基礎としつつ、テキスト表示に関しても動的演出操作が追求されていた。同社の最終作『銀の蛇、黒の月』(2003年)の表現世界は、TerraLunar作品(『しすたぁエンジェル』[2002年]から『らくえん』[2004年]に至るまで)のそれと並んで、この時期のAVGシーンにおける一大奇観を成した鋭峰である。『ef』のアプローチもこれらの前衛路線の延長線上に――ただしよりいっそう機能的に整理された画面構築様式として――位置づけられるだろう。
 Innocent Greyも、カットインCGを潤沢に投入することによって、またあるいは大サイズCGのスライド(スクロール)表示を多用することによって、場面ごとに様々な演出効果をもたらしている(註10。手法としては、前記のLittlewitch及びApRicoTの流儀に類似しており、そしてそれゆえ同社第一作『カルタグラ』(2005年)と第二作『pianissimo』(2006年)では、いずれもイベントCGは200枚に達している(――同様に、例えば『Quartett!』は180枚、『AYAKASHI』に至っては500枚ものイベントCGを使用している)。
註10) Innocent Greyに関しては、背景CGの品質も特筆されるべき水準にある。『カルタグラ』は昭和二十六年の上野近辺を主な舞台とするストーリーであり、また同様に『pianissimo』は昭和十一年の東京で展開されるストーリーであるが、そうした趣向に説得力を与える舞台装置の一環として、緻密でリアリティのある背景美術はきわめて重要な役割を果たしている(――それはいわば「静的な画面効果」である)。昭和三十一年の東京を舞台とする『殻ノ少女』(2008年)に関しても事情は同じである。


 (4)部分的なアニメーションの導入 I:立ち絵画像について
 立ち絵に関して。いわゆる「目パチ」「口パク」、すなわち立ち絵に瞬き表現やリップシンク動作を付与することによって臨場感を増す手法は、前世紀から行われていたが、現在でもいくつかのブランドによって実行されている。目パチ表現は例えばStudio e.go!の各作品によって、また口パク表現は例えばminori『はるのあしおと』、2004年)によって。これらが徹底されれば、AVG画面の視覚的印象はアニメーション作品のそれへと大きく接近していく。また、きわめて珍しい例であるが、F&CEscu:deには、イベントCGにも目パチ処理を施している作品がある(――前者のブランドでは、例えば『Piaキャロットへようこそ!!3』[2001年]。後者は『メタモルファンタジー』[2001年]、『英雄×魔王』[2005年]などいくつもの作品で実装している)。
 さらに、『終わりなき夏 永遠なる音律』φage、2009年)は、目パチ口パク表現を、立ち絵アクションと組み合わせて使用している。それぞれを単体で使用する場合に比べて制作過程はいっそう難しく(あるいは煩雑に)なるが、それと引き替えに獲得された画面のダイナミックな印象は確かに注目に値する。ただし、これほどの演出努力をもってしても(、あるいは、その過剰なまでの立ち絵アクションがかえって強調してしまっていることだが)、立ち絵素材の硬直性の印象は、払拭されたとは言い難い。
 別様のアプローチとして、チップアニメ等の形態でキャラクターの動的表示を行う作品もある。例えば、「ACTIVE DRAMATIZE NOVEL」と称する『誰彼』Leaf、2001年)には、チップアニメによってキャラクター全身像の様々なアクションを動的に表示するパートがある(――その際にテキストは、画面下部に字幕のように表示される)。『とびでばいん』abogadopowers、2001年)のAVGパートは、3D制作されたデフォルメキャラクターを、画面内の小ウィンドウの中で動的に表示する。『Vagrants』Studio e.go!、2003年)は、チップキャラの各種アクション表現を3Dマップと組み合わせたRPGである(――SLGパート上の演出については4章2節2款以下[↓]で述べる)


 (5)部分的なアニメーションの導入 II:背景画像等について
 背景部分のアニメーション化は、以前からも時折試みられていたが、近年その利用頻度及び表現水準を飛躍的に高めている。すでに紹介したPurple software(cf. 1章3節[↑]が、代表的かつ模範的な実例を提示している。ただし、背景部分のアニメーション化に関してさらに先駆的だったのはF&Cpajamas softである。前者は『Piaキャロットへようこそ!!3』においてすでに「水面」や「陽炎」といった動的演出機能を実装しており、また後者は『パンドラの夢』において降雨及びレンズフレアのアニメーションエフェクトを実行している。なお、文字通りのアニメーション化の他に、背景画像の差分切り替えや多重スクロールによって描写の動的フォローアップ(擬似アニメ)を行っている作品もある(――アニメーション演出については次節[↓]で再び検討する)
 降雨、降雪、花吹雪といったアニメーションエフェクトも、これに類する効果を挙げうる。『めぐり、ひとひら。』キャラメルBOX、2003年)は、降雪エフェクトとあわせて、キャラクター立ち絵に白い吐息エフェクトを表示させることによって、雪の田舎という舞台設定の興趣を強調している。同様に、『WHITE ALBUM』Leaf、1998年)における降誕祭の静かな粉雪アニメーション、『明日の君と逢うために』における荒々しい豪雨アニメがもたらす不安感、『仏蘭西少女』PIL、2009年)における見通しの利かない雨靄エフェクト、『えむぴぃ』の背景青空における開放感溢れる行雲スクロール、そして『桜吹雪』Silver Bullet、2009年)の各シーンで舞い散り続ける花吹雪、これらもまた作品内容に即した効果的な視覚演出である。


 (6)メッセージウィンドウの表示に関する技巧
 Lassが試みたメッセージウィンドウ(テキストボックス)多重表示も、視覚的効果を意識した技術的演出の一例だと言える。その技術それ自体は処女作『青と蒼のしずく』(2003年)がすでに実行していたが、同社第三作『FESTA!!』(2005年)においてさらに華々しく活用されている。擬似フキダシ化した複数のメッセージウィンドウがしばしば幾何学的な配置で多重表示され、そのオレンジ色基調のカラーリングと相俟って、作品全体のポップアートめいた軽妙さの印象を強化している。
 描写される状況に応じてメッセージウィンドウの形状や背景色を変化させるものもある。その利用の仕方は様々である: (1)視点人物の切り替え等に対応して、背景色等を機能的に変化させる場合(――とりわけ、主人公の視点を離れるシーンの描写に際して。一例として『ツナガル★バングル』)。(2)個々のシーンの性質に応じてテキスト表示形態や枠デザインを変化させる場合(――例えば回想シーンやアダルトシーンにおいて。例:『Quartett!』)。(3)個々の台詞の内容に合わせてその都度メッセージウィンドウ形状等を変化させる場合(――例えば、台詞テキストとモノローグとでウィンドウ形状を変化させるパターン、あるいは怒声台詞でメッセージウィンドウをギザギザに尖らせる処理など。例:『プリンセスうぃっちぃず』)。メッセージウィンドウ形式と全画面テキスト形式の切り替えも、これと同様の作用を果たすことができる(註11
註11) このほか、テキスト表示形態またはテキスト表示位置に特別の技巧を凝らした作品の実例としては、『Like Life』HOOK、2004年)、『らぐな☆彡サイエンス』アイル、2006年)、『転娘!?』OLE、2006年)、『満淫電車2』BISHOP、2009年)等もある。なかでもALcotは、『Clover Heart's』(2003年)や『幼なじみは大統領』(2009年)において、数種類のテキスト表示位置を使い分ける準固定-半可変のテキスト表示を追求している。また、ハイクオソフト『よつのは』(2006年)及び『幼なじみとの暮らし方』(2006年)も様々な文字表示形態を試みており、Liar-soft『LOVE&DEAD』(2008年)及び『水スペ 川野口ノブ探検隊』(2009年)も漫画のフキダシを模したメッセージウィンドウ多重表示を行っている。すでに紹介したLittlewitch(↑)すたじお緑茶(↑)pajamas soft(↑)も、この観点での優れた成果に数えられる。そのほか、4章4節1款α号(↓)も参照。


 (7)音響演出、とりわけ効果音について
 『この青空に約束を―』戯画、2006年)も、場面毎のアドホックな演出を様々に試みている。背景画像の操作、文字表示方式の切り替え、降雨や桜吹雪のエフェクトなども指摘できるが、なかでも効果音(sound effect: SE)による音響上の演出こそは、私見では本作最大の特徴である。テキストと画像と音響とを縦横無尽に活用した多層的立体的な描写術は、同じライター(丸戸史明)が企画から手掛けた『ままらぶ』HERMIT、2004年)と並んで、AVGにおける音響利用の卓越した実例となっている。このほか、SEを活用した描写に関しては、上記pajamas softApRicoT『Like Life』『雪影』Silver Bullet、2006年)も優れている(――音響演出については4章4節3款[↓]も参照)


 (8)画面効果演出の普及
 これら以外のブランドでも、たとえば漫画的にデフォルメされた記号的エフェクトを補助的に表示する例はすでに多数に及ぶ(――焦燥を示す「落汗」、驚きの際の感嘆符や「Σ」印、何かを発見した時の「瞳の輝き」など)。デフォルメCGをカットイン的に挿入して場景描写にコミカルな表情づけをする手法も、かなり普及してきた。クエイク(画面振動)やフラッシュ(画面白光)といった伝統的な演出も、あたりまえに行われている。いずれも、さほど大きくないコストで明快な視覚的効果を挙げうるため、テキスト主体のAVGにこれらの技法を取り込む作品は今後とも数多く現れるだろう。


 《第3節:動画使用演出》
 オープニング(OP)ムービー及びエンディング(ED)ムービーは、PCゲームに導入されるようになってすでに久しく、ムービー利用に関する意識は十分に成熟している(註12。内容面では、アニメ並の動画表現を盛り込むものも現れており(註13、また3D技術利用も普及してきた。OPムービーをどのようなタイミングで挿入するかについても様々な模索がなされているし、ルート毎(またはゲームモード毎)に異なったEDムービーを表示する作品もあり、さらにはOPムービーとEDムービーだけでなくストーリーの重要な節目に第三、第四のムービーを挿入するものもある。主題歌作曲者や主題歌歌手に注目が寄せられることも多い。
 そしてさらに、本編から分離されたオープニング及びエンディングとしてではなく、本編中の描写を構成する一部分としてムービー(動画ファイル)素材を使用するアプローチが近年現れている。本節ではこの手法について概観を試みる。
註12) PCゲームにおける動画使用は、一方で市場的事情としては広告手段としてのデモムービーによって後押しされ、他方で作品様式的事情としてはとりわけ主題歌の導入がOPムービーの採用を促進したものと思われる。デモムービーのウェブ配信も、2000年時点ですでに行われていた。『LoveMate』Mink、製品版は2000年4月発売)、『innocent Eye's』UNiSONSHIFT、2000年9月発売)など。ただし、当時は(ファイルサイズ減少のために)動画ファイルフォーマットではなくしばしば実行ファイルの形式が採られていたが。主題歌使用の比較的早期の実例として、『To Heart』Leaf、1997年)は著名である。詳細な資料はウェブサイトBANDiTの隠れ家の記事Adult Game Vocal Collectionを参照。
 OPムービー及びEDムービーは、通常は物語本編の叙述から分離された独立のパートと見做される(――実際にも本編中の画像素材等のパッチワークによって構成されるのが通例であり、本編全体の紹介的乃至要約的なイメージムービーとなっているのが一般的である)。しかし、OPムービーの内容が物語本編を描写する重要な一部分を成している場合があり、あるいはEDムービーが同時にエピローグの役割をも担っている場合がある。OPムービーについては一例として『明日の君と逢うために』(:本編中では描かれていない重要なシーンが含まれている)があり、EDムービーの例としては『SEVEN-BRIDGE』(:エピローグ的シークエンスになっている)が挙げられる。

註13) OPムービーにおいて本格的なアニメーションを導入している作品は多数存在する。Littlewitchは2002年の『白詰草話』でこれを実行し、その後『聖剣のフェアリース』(2009年:Littlewitch velvetブランド)と『シュガーコートフリークス』においても再び採用している。このほか、Leaf『うたわれるもの』『Tears to Tiara』[2005年]、『フルアニ』[2006年]など)、alicesoft『超昂天使エスカレイヤー』[2002年]、『大番長』[2003年]、『ぱすてるチャイムContinue』[2005年]、『超昂閃忍ハルカ』[2008年])、minori『はるのあしおと』以降)、pajamas soft『プリンセスうぃっちぃず』『プリズム・アーク』)、Purple software『プリミティブ リンク』以降)などが、比較的早い時期から複数の作品でセルアニメーションレベルのOPムービーを制作している。


 (1)先駆的ブランド:Jellyfishとelf
 動画利用による演出強化に最も早期に着手したメーカーは、Jellyfishelfであろう(――前者は『GREEN』[1999年]と『LOVERS』[2003年]。後者は『BE-YOND』[WIN版:2000年]、『らいむいろ戦奇譚』[2002年])。elfは、3D素材をも利用しつつ、戦艦や宇宙船の戦闘シーンをムービーによって効率的かつ効果的に描写している。『恋ごころ』RaM、2000年)も、アニメーション演出の草分けに数えられるであろう。


 (2)Dreamsoft/SkyFishによる動画使用演出の開拓
 このアプローチを意識的に開拓してきたブランドとして、DreamSoftの功績もきわめて大きい。PC用AVGにおいて動画演出をいち早く採用し、そして継続的に成果を挙げてきた重要な旗手であった。ブランド処女作『Beside』(2001年)においてすでにOPムービーを採用しており、さらに『North Wind』(2004年)、『Natural Another One 2nd -Belladonna-』(2005年)、『エーテルの砂時計』(2006年)といった一連の作品では、動画素材を本編中に組み込んだ動的演出に踏み込んでいる。主な使用場面は、アイキャッチ、ホラー表現、アクションシーンである。
 Dreamsoftは活動休止したとされるが、その技術ともども、ひろもりさかな(弘森魚)代表に主導されたSkyFishに引き継がれている。なかでも『白銀のソレイユ』(2007年)は、ムービー挿入にとどまらず立ち絵操作やエフェクト演出をも含む様々な動的演出を追求したブランド渾身の力作として重要視されている。ムービー素材の使用場面は、各種エフェクト(爆発表現、魔術的力の発動表現、イメージ補強的表現などの合成表示)、変身シークエンスや各種アクション表現(とりわけ戦闘シーン)、カメラワーク演出の代行実現など、多岐に亘る。ただし、何十個もの動画素材を投入した代償として、当時の標準的なAVG作品に倍する5.5GBものHDD容量を要求するものとなっているが(註14
 『はるかぜどりに、とまりぎを。』(2007年)、『キスよりさきに恋よりはやく』(2008年)といった同社後続作品においても、様々な動画利用演出が試みられている。活劇要素を伴わないこれらの穏和な作品においては、動画素材は単体で前面に出るよりもむしろ、水面のゆらめきやレンズフレアあるいは動的アイキャッチといった細部においてこそ活用されており、カメラワーク操作と立ち絵アクションを併用しつつ、複合的重層的なAVG表現が追求されている。
註14) 演出技術の発展(と実用化)は、部分的にはその媒体の物理的条件によって制約される。PCゲームについていえば、PCのパフォーマンス水準が、実行可能な演出の範囲を事実上限界づけている。言い換えれば、当該演出の実行に堪えるだけの性能のPCがユーザーの間に一定以上普及していることが求められる。ムービー演出の出現は、3D-AVGの発展史とならんで、まさにその代表例と言えるだろう。また、例えば背景パーツのアニメーションは、アーケードゲームや家庭用ゲームにおいてはすでに前世紀から広汎に実現されていたが、国内アダルトPCゲームにおいては近年までほとんど行われていなかった。前二者ににおいては、比較的ドットの粗い(=軽量な)画像を、そのために特化したプラットフォームの上で処理していたが、後者においては静止画像の飛躍的な品質向上に対してそれを円滑な動的表示と両立させるのが困難であったことが、その一因であったと思われる。さらに、HDD容量の増大は高音質のフルヴォイス表現をも可能にしたし、ディスプレイの解像度上昇は画面内の情報量を増やすことを可能にした(――その恩恵を享受したのはAVGよりもむしろSLGであろうが)。
 中間的要因として、AVGにおいてはスクリプトエンジンが、個々の演出の形態及び品質に深く関わっている。エンジン側の改良によって実現可能に(または実現容易に)なった演出手法も少なくないであろう。アダルトPCゲームにおける主要なスクリプトエンジンの一覧及び利用状況について整理した記事として、ウェブサイト「電波とどいた?」の記事ゲームエンジンとか、ウェブサイトエロゲについてのあれこれ内の記事[番外] ゲームエンジンとプログラマー [不完全リスト]がある。さらに、Wikipedia日本語版の記事Template:美少女ゲーム系/doc/ゲームエンジンも参考になるであろう。
 他方で、物理的な環境要因には左右されず、個々の制作パートの内発的イノヴェーションによってなされる技巧開拓もある(――例えばアダルトシーンのテキストワーク。cf. 4章1節[↓])。それらの発明乃至発案は、直接的には、制作者がそれを発想するかどうか、そして実行しようとするかどうかに掛かっているが、より広く見れば、その表現技術を使用することがその表現分野に相応しいかどうか(換言すれば、そのジャンルの中で確立している美意識と様式感覚がどのようなものであって、どこまでの表現を受け入れようとしているのか)の問題でもあり、そしてまた、その表現技術を使用しようとする個々の作品が作品全体としてどのようなコンセプトを持っているかの問題にも不可避的に関わっている。上記の背景アニメーションやムービー演出やヴォイス表現についても、それらがある時期まで実現されていなかった理由は、ただ単に「技術的に実現困難だったから」「制作者がそれを知らなかったから」であるとは限らない。その時点でのPCゲームの様式感覚にとって、あるいは個々の作品にとって、それが演出上必要でなかった(有効だとは見做されなかった)から実行されていなかったという側面も考えられる。別言すれば、雑多な演出技術を闇雲に投入しても、作品全体として優れた成果を得られるわけではないということである。演出について考える際に、それらが常に個別作品の方向性(ディレクション)と関わっていること、そして当該ジャンル全体とカテゴリアルに関わるものであることは、看過されてはならない。


 (3)動画使用演出の普及
 またあるいは『DOOP ADVANCE』MBS truth、2003年)、『そこに海があって』mirage、2003年)、『ひめしょ!』XANADU、2005年)、『群青の空を越えて』light、2005年)も、動画組み込み表現の比較的早い実例である。そしてその後も、『プリズム・アーク』(2006年)、『遊撃警艦パトベセル』May-Be SOFT、2007年)、『R.U.R.U.R』light、2007年)、『続・殺戮のジャンゴ』nitro+、2007年)などが現れて、この方向性をさらに継続展開させている。『蒼海の皇女たち』anastasia、2008年)も、ムービーやカットインCGを様々に組み合わせて稠密な演出の織地を実現してみせた成功例として記憶に新しい。
 これらの作品では、主にアクションシーンや大型人工物(兵器等)表現、エフェクト演出等のためにムービー挿入が行われている。しかし、PCゲームにおいてアニメーション表現を最も活発に利用してきたのは、やはりアダルトシーンである(註15。3D系メーカーを別とすれば、現時点ではテックアーツの各ブランド(G.J?May-Be SOFTMBS TRUTHOLESQUEEZ)が代表的とされるであろう。
註15) ErogameScapeの、属性「Hアニメ有り」のリストに登録されている作品数はすでに膨大である。POV「アニメーションがよくできているゲーム」への登録状況も参照。


 (4)動画使用演出の諸相
 動画素材の利用形態も様々である。エフェクト表現の一種として使用される場合もあれば、カットイン的に使用されて画面に動的抑揚をもたらす場合もある。時にはAVGの中で特定の具体的な「動き」を描写するための手段として、また時には動画映像特有のリアリティに訴えるために、動画が使用される場合もある。画像及び音響の特定のシークエンスを制作者が意図したとおりのかたちで(つまり完全に固定されたタイミングで)表示するために、動画の形態を採る場合もあるだろう。変身シーンのような場合には、バンク的に繰り返し使用されることもある。さらには、AVGのフォーマットを離れてフルアニメーション表現への移行を目指すものもある(――その場合には、既存のAVGとの本質的共通性は、選択肢による進行分岐という一点のみとなる)。
 アニメーション素材それ自体の形態乃至品質も、目的及び対象に応じて様々なものが採用されうる。戯画的なカットインとして使用する場合には、GIFアニメ相当の簡素なものの方が、かえって視覚的抑揚として効果的であろう。他方で人体動作等をなめらかに表現するためには、セルアニメーション並のものが必要になる。人工物表現に際しては、3D制作によるのが効率的かつ効果的であろう。変身シーン等に関しては、ムービー素材によらずとも、画像差分切り替えとエフェクト付与によって表現することも十分可能である。



 第4章:AVGの様々な局面における演出

 《第1節:アダルトシーンでの演出》
 アニメーション導入に限らず、アダルトシーンがPCゲームにおける表現技術の発展を強力に後押ししてきたことは疑いない。古典的な「(絶頂時の)フラッシュ演出」や「ズーム(局部拡大)」に始まり、音響面では例えば「SE強化(水音、うちつけ音)」「多重音声(バックグラウンド音声)」が開発され、画像処理に関しては「カットイン(例えば局部拡大図や挿入断面図)」「男性身体の(半)透明化(つまり女性の身体が遮蔽されない)」「テキストウィンドウに遮られないような構図の追求」「CG差分の大量化(による描写の精緻化)」「体液量の誇張的増加(による視覚的強調)」「各種隠蔽技術(モザイクのかけ方)の模索」など、テキスト面では「アダルトシーンではテキスト表示方式や叙述視点を変更する」「実況台詞(に代表されるテキストワーク上の案出)」(註16など、煽情性を促進するために様々な技術と技法が試みられてきた。さらに、「回想モードの設置」「コンフィグによる選択肢固定(いわゆる中/外選択など)」「各種の特殊コンフィグ(隠蔽方式選択、ヘアon/off、仮性on/off)」といったシステム面での補助機能をも発達させてきた。擬音等の視覚表示を追求した作品も現れており、ゲーム性やインタラクティヴィティを導入する試みもある(註17。中には「女体クリック」のように現在ではほぼ廃れた技法もあり、「男性局部の空中浮遊」のようにややもすればプレイヤーの微笑みを誘いかねないものもあるが。3章3節(↑)で述べたアニメーション表現も、これら無数の試行錯誤の中の一つ(最も重要な一つ)として位置づけられる。
註16) AVGのアダルトシーンに特有のテキストワークについては、エロゲシナリオライターそのだまさきのエロゲとエロゲ以外の日々に有益な記事がある。エロシーンを書くにはイメージが大事いぐぅなエロシナリオを書くための3つのポイントなど、アダルトシーン描写の基礎的様式について、実作者の立場からの啓発的な解説がある。『碧ヶ淵』ネル、2004年)、『AYAME 〜人形婬戯〜』LiLiTH Mist、2006年)、『戦乙女ヴァルキリー2』ルネ、2008年)等の作品において継続的にすぐれた成果を挙げてきた作家の言葉であるだけに、高い説得力がある。

註17) 擬音表示の例としては、『おいしい魔法のとなえかた。』C:drive.、2007年)。インタラクティヴィティに関しては、例えば『M×S』abogadopowers、2003年)には体力パラメータ変動を伴うゲーム性があり、『SEXFRIEND』CODEPINK、2003年)にも「DELDELシステム」と称する興奮度変化がある。『Queenボンジョルの!』G.J?、2006年)は「射精ボタン」による自由な進行制御を可能にしている。アトリエかぐや(Berkshire Yorkshireブランド)も、作品毎に「汁ゲージ」や「昂奮度メーター」といった様々なシステムを試みている。そしてとりわけBISHOPが、システムの拡充に継続注力している(――後述する「ぬぎぬぎシステム」のほか、イベントプレビュー機能、視点位置切り替え機能、「絶倫メーター」「けだものゲージ」等の興奮度ゲージシステムの採用、ON/OFF可能なカットインCG、入手アイテムによるイベントヴァリエーション、「いつでも発射システム」、「デュアルボイスシステム」など)。


 《第2節:ゲームシステムによる演出》

 (1)AVG作品におけるシステムと演出の関係
 通常のAVGの形態では特定のシナリオ構造を適切に表現することができず、そのため特殊なシステムが要求される場合がある。代表的なのはループシステムルートナビゲーションシステムの複合形態である(註18『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』elf、1996年)の名高い「A.D.M.S」と、『蒼色輪廻』美遊、2004年)の「時空跳躍システム」及び「走馬燈システム」が、これに該当する。
 Lassもゲームの進行制御のために様々なシステムを試みており、『3 days』(2004年)の「ナビ機能」(とループゲーム)、『FESTA!!』の「Story Stick System」、『11 eyes』(2008年)の「クロスビジョンモード」と、一作毎の挑戦がある。このほか、『螺旋回廊』ruf、2000年)のインターネットパート、『書淫、或いは失われた夢の物語。』Force、2000年)の独自構造、『お願いお星さま』PULLTOP、2004年)の星図盤システム、『最果てのイマ』xuse、2005年)の「BLOG」と称するハイパーリンクシステム、『ワンダリング・リペア!』Escu:de、2008年)の話題選択とメモリーシステムのように、様々な独自システムのAVG作品がある。
 さらに、特徴的なゲームシステムがそれ自体で独自の演出的効果を発揮しうる場合もある。「デジタライズド・ゲームブック」と銘打つLost Script作品、『蠅声の王』(2006年)及び『長靴をはいたデコ』(2007年)が、その一例である(――後者の作品は、「可変ウィンドウ」という試みをも実行している)。ゲームブックを模したシステムは、『Thief & Sword』、2009年)も実行した。
註18) フローチャート型のルートナビシステムは、それ単体としては、数多くの作品に搭載されている。たとえば『フォークソング』REWNOSS、1999年)、『顔のない月[DVD版]』ROOT、初版:2000年/DVD版:2002年)、『鬼医者』SAGA PLANETS、2002年)、『Kissing!!』valhalla、2003年)、『裏入学』アトリエかぐや、2004年)、『偽りの教室』Dark Side、2005年)、『背教学園』Anim、2006年)、『人妻×人妻(つまつま)ADV』DISCOVERY、2006年)など。とりわけアイル『脅迫』[DOS版:1996年/WIN版:1998年]など)、elf『百鬼』[2002年]、『河原崎家の一族2』[2003年])、SCORE/しゅこあ!『先生だ〜いすき』[2002年]など)は、複数の作品でフローチャート型の進行補助システムを導入している。このほか、フローチャートによる図示ではないが、章選択機能を設けている作品も存在する。


 (2)SLG作品におけるシステムと演出の関係
 現在の年齢制限付き国内PCゲームにあっては、AVGパートを含まないことはほとんど考えられない。SLGに分類される作品も、SLGパートのみで構成されているわけではなく、AVGパートが少なからぬ比重を占めている。それゆえ、それらの作品を「AVGではなくてSLG」と見るのではなく、「SLGパートを含むAVG」と見て、AVGの視座からSLG作品の構造及び演出を検討することも、可能であるし、また有益でもあるだろう。私見では、この分野でAVGとSLGとを択一的に把握することはあまり意味を持たない。
 SLG作品におけるSLGパートが、ゲームパートであると同時に演出機能(とりわけ視覚的精緻化の機能)をも果たしていることは、けっして否定できない。ゲームパートがそれ自体同時に演出パートでもあり得るという認識、あるいはゲームパートの機能は目的追求的挑戦のみではなくインタラクティヴなアミューズメントであってもよいのだという認識は、とりわけ家庭用ゲームにおいて培われてきた。PCゲームにおいても、実際にある種のSLG作品においては、SLGパートが「ゲームパート」というよりもむしろ「演出パート」として(のみ)機能している。例えば『Piaキャロットへようこそ!!』シリーズ(F&C、1996年〜)のアルバイトパートは、簡単なスケジューリング操作とチップアニメ表現によって主人公の定型的活動を表現するものであり、それはゲーム的挑戦を促すよりもむしろ視覚的演出の一手法として(あるいは進行制御の一形態として)理解されるに相応しい。pajamas soft作品のバトルパート、あるいは『Maple Colors』『Love Letter』美遊、2002年)に含まれるミニゲームについても同じことが言える。
 もちろん、副次的なゲームパートによる演出だけでなく、自立的なゲームパートの中での演出も様々に試みられてきた。多数の例に代えて、ゲーム性と視覚的演出を高度に両立させた見本として『WoRKs DoLL』TOPCAT、1999年)を挙げておく。また、ActGパートによる(ActGパートの内での)演出については戯画『BALDR』シリーズが挙げられる。Liar-softのいくつかの作品も、この関連で言及されるべきであろう。1章1節(↑)で言及したLittlewitch『少女魔法学 リトルウィッチロマネスク』についても同様の評価が可能である。ダイスロールパートでは、時に華やかで時に愛らしい、ヴァリエーション豊かな魔法発動エフェクトを楽しむことができる。
 SLGパートとAVGパートの関係が問題となるのは、ゲームシステム全体の次元だけではない。ゲームシステムの中で扱われる個々の要素に関しても、SLGパートとAVGパートの連動は、意味を持つ(べき)ものとして解釈される。例えば、「素早さ(AGI)」ステータスが高く「開錠」スキルを持つユニットがいた場合、その事実はそのユニットのSLGパート上の性能を表現するだけでなく、そのユニットが物語上のキャラクターとして「シーフ」の個性を持つことをも自動的に表現している。あるいは、SLGパート上で撃破されてもロストしないユニットは、その不死性という特徴(=汎用ユニットが通常持ち得ない能力)によって、物語(AVGパート)の次元でも特別の運命を与えられていることをプレイヤーに報せている。このように、SLGパート上の機能表現とAVGパート上の物語表現との間には一種の文法的関連が存在し、あるいは存在することが通常期待されている。


 (3)AVGパートとSLGパートの複合演出:ソフトハウスキャラ
 ソフトハウスキャラ作品のSLGパートも、しばしば演出的性格を併せ持っている。『巣作りドラゴン』(2004年)の迎撃戦闘(システマティックな多対多戦闘)しかり。『Dancing Crazies』(2005年)の戦闘パート(多対多戦闘の擬似リアルタイム戦闘)しかり。『Wizard's Climber』(2008年)の実践戦闘(部分的介入の可能な高速オート戦闘)しかり。いずれも、SLGパートとしてゲーム性の機能を担うと同時に、場景描写を行う視覚的精緻化の機能をも担っている。『海賊王冠』(2001年)及び『真昼に踊る犯罪者』(2001年)のカード戦闘の小気味良い視覚的演出も、『ブラウン通り三番目』(2003年)が店内風景を各種チップアニメによって表現しているのも、紛れもない技術的演出手段である。さらに『南国ドミニオン』(2005年)及び『グリンスヴァールの森の中』(2006年)に至っては、狭義のゲーム的性格(=目的追求的要素)を後退させて、シミュレータ的性格(=環境ソフト類似の、無目的な遊戯性)へと接近しているほどである。
 SLG+AVGの複合構造の最良の成果においては、AVGパートの描写とSLGパートの描写とが相補的な世界説明として一貫した表現空間を作り上げているのを見出すことができる。『巣作りドラゴン』がまさにそれであり、ここではAVGパート(状況設定)がSLGパート(システム)に対して裏付けを与えつつ、SLGパート(戦闘描写)がAVGパート(ストーリー)に対して視覚的描写を提供している。
 ソフトハウスキャラ作品は、AVGパートの画面演出に関してはいずれも比較的簡素であり、立ち絵パターンにしても大半が固定ポーズである。しかしそのSLGパートを「(AVGとしての)演出」の観点に取り込むならば、同社作品の総合的な演出密度は十分評価に値する(註19。SLGとAVGとは、なんら対立的なものではない。
註19) ソフトハウスキャラは、全作品が内藤騎之介の企画主導の下に制作されている。同社各作品に対する紹介的概観は、拙稿「リメイクの時代を超えて――ソフトハウスキャラ作品史小論」を参照。とりわけ『巣作りドラゴン』に関する分析の詳細は、「リメイク」論8章1節d号を参照。また、SLG一般が有する表現上の特質についての検討は、拙稿「リメイク論 補論:『王賊』について」2節c号の註及び3節b号の註を参照。
 ソフトハウスキャラ作品のAVGパート演出については、以下のものが挙げられる。『葵屋まっしぐら』(2000年)では花吹雪や降雪の表現。『うえはぁす』(2000年)や『ブラウン通り』においては、メインヒロインの立ち絵パターンの豊富さ。『アルフレッド学園魔物大隊』(2002年)や『LEVEL JUSTICE』(2003年)では、モブ立ち絵を大量表示するユーモラスなシーン。『真昼』では同一の画像素材を用いた変装者表現。『ブラウン通り』『王賊』(2007年)には、立ち絵の拡大表示によって、キャラクターが主人公に詰め寄る様子を表現した箇所がある。『王賊』プロローグにはデフォルメCGのカットイン表示もある。『DAISOUNAN』(2009年)に関しては、チップアニメによる視覚表現面の強化、立ち絵ヴァリエーションの増加、そして立ち絵の動的演出(キャラクターが強風に吹き飛ばされる)が指摘できる。『忍流』(2009年)では、顔アイコンのみによる幕間会話のスタイルが特徴的である(――これはSLGパートとAVGパートとの様式的ギャップを縮めるための処方と捉えることができる)。
 さらに、テキストワークに関しては「(長い話)」演出が特徴的である。長大な台詞が、テキスト上は「(長い話)」とのみ書かれて省略されているが、その省略された台詞が音声上ではすべて語られているというものである(――テキスト表示面の技術的節約であるとともに、読み手の微笑を誘う話芸でもある)。同種のものは『らくえん』『もしも明日が晴れならば』『ゆのはな』PULLTOP、2005年)等にも見られ、「ぶつぶつ」あるいは「(以下略)」といったテキストの背後で何百字分もの長台詞が音声出力されている。


 《第3節:キャラクター及び作中世界に関する演出》

 (1)キャラクターに関する演出
 キャラクターは、演出の目的物としてこの分野で最も重要なものの一つである。ポルノグラフィックな内容を追求する作品においても、恋愛描写に主眼を置いた作品においても、またあるいはドラマティックな物語を表現しようとする作品においても、そしてゲームパートへの興味に動機づけられた作品においてすら、登場人物たちのキャラクター個性は常に重視される。個々のシーンの描写をいっそう鮮やかなものにするために様々な演出によって彩るのと同様に、あるいは物語に説得力を与えるためにそれに合わせて表現を精緻化していくのと同様に、あるいは作品全体の一貫した美的イメージを構築するために様々な技巧を凝らすのと同様に、それらと同じ意識の下で、キャラクターの魅力を最大限に引き出すための不断の演出努力がなされている。
 例えば活発なキャラクターが赤やピンクの頭髪に造形され、ミステリアスなキャラクターがしばしば薄紫色の髪で表示され、沈着冷静なキャラクターが黒髪であるといったように、キャラクター性(性格や「属性」)の表現に関する様々な表現文法がすでに確立されている。またあるいは「ツンデレ」「性格の対照的な双子」「邪悪ロリ」「戦うメイド」「男の娘(おとこのこ)」といったいくつものキャラクターモデルが、PCゲーマーたちの共通言語になっている(――いわゆる「ストックキャラクター」)。そしてさらに、それらを前提とした無数のキャラクターデザインの実践が存在する。


 (2)作中世界に関する演出 I
 物語の舞台となる作中世界もまた、AVGの各種形成素材を通じて様々な角度から造形され表現され彩られる。音響面では、例えば洋館を舞台とする重厚な作品には荘重なオルガン曲や典雅なチェンバロ曲が似つかわしく(『化石の歌』age、2000年]、『クロウカシス』Innocent Grey、2009年])、また桜の舞い散る学園を舞台とする場合にはBGMでもSEでも琴の撥弦音が多用される(『桜吹雪』)。テキストの文体及び語彙選択にも注意が払われ、例えば中世ファンタジー世界を描く際には近代的文物に関わる言葉(「ピストン」など)や特定の故事に基づく言い回し(「四面楚歌」など)は差し控えられがちである。着彩の趣向もその都度吟味され、例えばカタストロフに直面する世界を描き出す際に『SWAN SONG』Le. Chocolat、2005年)のように明暗のコントラストを強調する重々しいCGワークもあれば、逆に『終末の過ごし方』abogadopowers、1999年)のように淡彩のグラフィクスによって滅亡の虚無感を印象づけるものもある。背景画像の重要性も、すでに述べたとおりである(cf. 3章2節3款の註10[↑]、4章4節2款β号[↓]。背景画像等を実在の場所から取材することによってそのロケーションから描写のリアリティを汲み上げている作品もある(註20
註20) 現地探訪サイトが多数存在する。舞台探訪アーカイブのリンク集を参照。


 (3)作中世界に関する演出 II:クロスオーバー設定
 自社作品の間で明示的または黙示的に世界設定上の連関を与えているゲームブランドは少なくない。サーガ化またはシリーズ化した作品群ではそれが最も顕著に現れているが、そうでない場合でも、例えば旧作のキャラクターと新作のキャラクターに親族関係が見出される(名字が同じである)といったような緩やかな連関はしばしば見られる。それらの意図及び効果は様々であり、ファンサービス的になされる場合もあれば、舞台設定やキャラクター造形に対して背景設定の重厚さを加える場合もある。
 世界設定上の実質的関連を伴わない場合でも、旧作のキャラクターを背景CGのモブにまぎれ込ませてエキストラ出演させる例や、作中作(作中に登場する映画、小説、カラオケ曲等)のかたちで旧作に言及する例もある。また、続編作品において前作のBGM(のアレンジ曲)や背景画像が使用される場合もあり、旧作のシーンの本歌取り的イベントが盛り込まれることもある(註21。これらは多くの場合、ファンサービスとして理解される。
 他の創作分野においてこれらの実践に類似する概念としては、「シェアド・ワールド(:小説等)」「スターシステム(:漫画)」「カメオ出演(:映画)」といったものがある。
註21) サーガ化した作品系列は、最も強い意味での(しかも大規模な)連関を有すると言える。alicesoft『Rance(ランス)』シリーズ(1989年〜。神ルドラサウムが創造した大陸世界)、Eushully『戦女神』シリーズ(1999年〜。「ディル=リフィーナ」世界)、Triangle『魔法戦士』シリーズ(2002年〜。参考:『魔法戦士レムティアナイツ』までの略年表)が代表的である。
 シリーズ化した続編作品における設定継承もしばしば見られる。フルプライス4作品以上で共通世界設定のあるシリーズとして、『Piaキャロット』(1996年〜)、『BALDR』(1999年〜)、『夜勤病棟』Mink、1999年〜)、『THE ガッツ!』オーサリングヘヴン、1999年〜)、『闇の声』Black Cyc、2001年〜)、『傷モノ』RaSeN、2001年〜)、『催眠』BLACKRAINBOW、2001年〜)、『ミライ』FlyingShine黒、2003年〜)、『マブラヴ』(2003年〜)、『What a』Liar-soft、2006年〜)、『姦染』SPEED、2006年〜)が挙げられる。Studio e.go!も、『キャッスルファンタジア』(1998年〜)、『メンアットワーク!』(1999年〜)、『IZUMO』(2001年〜)、『神楽』(2003年〜)をシリーズ化してきた。
 これらのほか、比較的緩やかなクロスオーバー的設定連関は、数多くのブランドで行われている。例えばLeaf(長瀬一族など)、Overflow(伊能-沢越一族)、age(姉妹ブランドの作品を含む)、アトリエかぐや(TEAM HEARTBEATブランドのアイオーン・シリーズ。Berkshire Yorkshireブランドの白川姉妹や御堂一族など)、ORBITすたじお緑茶(榊一族など)、UNiSONSHIFT(一部作品の魔界設定)、トラヴュランスなどが、比較的多数の作品に跨る連関を与えている。ソフトハウスキャラも、16作品全てが共通の世界設定を持つと解される(――別掲の拙稿「作中世界の相互連関について」を参照)。
 個別の続編またはファンディスクについては言うまでもない。そのほか、ブランド内の各作品に登場する常連キャラクターや共通名キャラクターがいる場合もある:Liar-soft各作品における「けーこ」のカメオ出演、たっちーのマスコットキャラクター「たっちーちゃん」、BaseSon作品の友人キャラクター「及川」、Lass作品の「千神奈々子」、Innocent Grey作品の「荒田大作」、ALcot作品の「西園寺」など。


 (4)作中世界に関する演出 III:外的事象への参照
 自社作品の中だけでなく、実在の人物や歴史上の事件(とりわけ歴史上の有名人)を取り上げている作品や、特定の他の創作物等を連想させる作品も存在する。
 現実の諸事実を題材としている作品の例としては、『戦国ランス』『恋姫†無双』『学園☆新選組!』Maybe-soft、2008年)、そしてLiar-softのいくつもの作品が挙げられる。登場キャラクターの名前を特定のカテゴリーに沿わせる例も多い(――戦国武将や文豪の名字、あるいは艦船名、温泉地名、駅名など。実例については別掲の一覧を参照)。
 既存の創作物を参照している例としては、戦隊特撮や魔法少女アニメといった特定のジャンルを念頭に置いた様式模倣的作品群が代表的であり、また個別にはとりわけマリゴールド系列ブランドのいくつかの作品が挙げられる。文芸作品や神話伝説(『不思議の国のアリス』、クトゥルー神話、北欧神話、遠野物語など)を下敷きにした作品もあり、有名な伝承上のキャラクター(玉藻前[九尾の狐]、メフィストフェレスなど)を登場させるものもあり、さらには童話の明示的パロディ(『メルティ・メルヘン』ぱんだはうす、2003年]、『黒の図書館』ふぉ〜ちゅん♪、2003年])に至るまで、枚挙に暇が無い。
 これらの手法もまた、確立された既成の表象にアピールすることによって、その作品単体に留まらないイメージの広がりと厚みをもたらしうる。ただし実際にはその用い方は作品毎に様々であって、作品コンセプトそのものがその参照元と密接に結びついている場合もあれば、物語やキャラクターや設定等の特定の箇所についてのみ関連を有する場合もあり、あるいは個々の具体的事象とは無関係にそのムードのみを援用している場合もあり、あるいは作品内容とは無関係な単なる遊戯的仕掛けにとどまる場合もある。また、これらはPC用AVGに固有の技法ではなく、それ以外の多くのメディアにおいても実行されているオーソドックスな手法である。


 《第4節:AVGの基本構造に関わる演出》
 以上のほか、現代のコンピュータ用AVGの構造及び機能に関わる演出が、様々なかたちで為されている。以下、本節においては、AVGを構成している諸要素を適宜分類しつつ、そこで行われている基礎的な演出手法及び主要な演出技巧を、実例に即して挙げていく。

 (1)テキストに関する様々な加工及び演出
 (α)テキストの表示形態は、AVGにおいても意欲的に開拓されている表現要素の一つである。たとえば通常の会話シーンでは画面下部のメッセージボックスにテキストを表示し、主人公の内面描写や回想シーン等に際しては全画面テキスト表示(いわゆるヴィジュアルノヴェル型)に切り替えるといった表示方法の柔軟な変更も、パソコン用AVGに特有のものである。なかでもテキストの縦書き表示は、PC媒体においてはそれ自体個性的な視覚的演出となりうる(註22
 固有の辞書機能を備えることによってシステマティックに拡張的多層的なテキスト表示を行う作品もある(註23。本編中のテキストに対してポップアップやリンクによって注釈的な説明を提供し、あるいは用語集コーナーを別途設けるものである。3章2節6款(↑)で述べたメッセージウィンドウ多重表示も、これと関連する技法である。
 フォント操作、すなわち表示される文字そのものに対する装飾も行われている。キャラクター毎に文字色変更する手法は現在では広汎に普及しており、大声等を表現する拡大文字表示もしばしば行われている。また、Leafが「ビジュアルノベル」シリーズで採用した独自フォントはつとに知られている(――独自フォント使用は、『ティンクル☆くるせいだーす』も実行した)。複数の書体フォントの使い分けについてはLittlewitchTriangleが代表的である(――前者は、その都度の話者や感情に応じて様々なフォントを使用している。後者の作品群は、地の文をゴシック体で表示し台詞部分を明朝体で表示している)。文字が画像形式で表示される場合もある。例えば冒頭のエピグラフ的テキスト、アイキャッチや章タイトル、擬音の画面内表示など。
 改ページのテンポを意識したテキスト表示制御も、AVGテキストの文体造形にとっては重要である。クリックによる改ページの間隔(換言すれば、一ページで表示する文章量)によって、時には韻律感を強調し、時には速度感を表現する。あるいは音響及び画像に関するスクリプトワークと協働して、物語進行に様々な効果(緩急の抑揚、転換や断絶、あるいは停滞や衝突等々)をもたらす。また、特定の箇所でテキスト表示速度にウェイトを掛け、あるいは一時的にオート進行にしてその箇所を際立たせるといった操作も、AVGにおいては実行可能である。
 テキスト表示モード切り替えを可能にしているものがある。『HUSHABY BABY』alicesoft、1999年)及び『妻とママとボイン』G.J?、2006年)には関西弁モードとの切り替えがあり、『銀色』ねこねこソフト、2000年)には英語モードとの切り替えがあった。前二者は遊戯的な実験作と思われるが、後者の制作意図は不明(――海外展開を予定していたのであろうか?)。『仏蘭西少女』では、中国語台詞の箇所を中国語表示するか日本語表示するかを選択できる(――それに伴って音声も切り替わる)。地の文のみをテキスト表示して音声付き台詞ではテキストを表示しないという、いわゆるドラマティックモードも、文字表現と音声表現の双方を複合的に使用するAVGであればこそ実行可能な形式である。
註22) テキストを縦書き表示する作品は前世紀にも存在したが、今世紀の実例としては、『降魔録』たまソフト、2001年)、『パンドラの夢』『水月』『白い蛇の夜』、2003年)、『緋の月』みるくそふと、2003年)、『こなたよりかなたまで』F&C、2003年)、『Happy Planning』ユノ、2004年)、『妖刀事件』Liar-soft、2006年)、『霞外籠逗留記』raiL-soft、2008年)、『Garden』CUFFS、2008年)、『タペストリー』『紅殻町博物誌』raiL-soft、2009年)、『装甲悪鬼村正』nitro+、2009年)、『アトリの空と真鍮の月』TOPCAT、2009年)があるとされる。さらに『奴隷介護』シルキーズ、2001年)、『らくえん』『いつか、届く、あの空に。』Lump of Sugar、2007年)、Innocent Grey各作品にも縦書き表示シーンがあり、主として主人公以外の視点での描写を行う際に用いられている。

註23) 辞書機能を搭載した作品の実例として、『二重影』ケロQ、2000年)、『うたわれるもの』『水月』『最果てのイマ』『蠅声の王』『スカーレット』ねこねこソフト、2006年)、『水平線まで何マイル?』『姫巫女 繊月』、2008年)、『ファンタジカル』UNiSONSHIFT、2008年)、『ステルラエクエス』C:drive.、2008年)、『蒼海のヴァルキュリア』anastasia、2009年)がある。キャラメルBOX『処女(おとめ)はお姉様(ボク)に恋してる』(2005年)及び『終末少女幻想アリスマチック』(2006年)においてこの種のシステムを導入しており、Chien『委員長は承認せず!』(2006年)及び『冷徹冷静しかしてXXX!!』(2008年)で採用している。『復讐の女神』『殻ノ少女』といった推理AVG作品には、登場人物のプロフィール情報や証拠品等が記される手帳機能がしばしば付随する。『斬死刃留』Amolphas、2009年)にも、人物、地理、用語の情報閲覧機能がある。

 (β)テキストワークそれ自体に関しては、一般的な修辞技法及び構成技術のほとんどが、AVGにおいても利用されうる。ただし、AVGにおけるテキストの地位及び機能は、小説(:書籍)、脚本(:演劇)、字幕(:映画)、ネーム(:漫画)のいずれとも異なる。とりわけ、PC用AVGに特有の外形的条件としては、クリック等によるページ送り進行が考慮され、またAVGのプロットに関しては、複数の分岐展開の存在が考慮される(cf. 本節4款[↓]
 それとならんで、文字列を視覚的に利用する一種のタイポグラフィデザインが、PC用AVGにおいてもしばしば実践されている。有名な実例として、『沙耶の唄』nitro+、2003年)における判読不能文字列や、菅宗光(む〜む〜)『BE-YOND』シルキーズ、1996年/elf、2000年)で用いた文字アニメがある。菅は、例えばフェイというキャラクターが犬の群に追われる様子を、テキストボックスに「犬犬犬犬犬犬 フェイ」のように表示した。顔文字の使用例もすでに存在する(――『蒼色輪廻』『プリンセス小夜曲』『残暑お見舞い申し上げます。』めろめろキュート、2008年]など)。『タナトスの恋』Red Label、2003年)は、この発想をゲーム攻略上のトリックとして用いた(――「折句(縦読み)」の使用)。低年齢キャラクター等の台詞が平仮名のみで記されるのも、『魔法少女アイ』colors、2001年)を初めとして、実例は多数に上る。これら以外でも、スペースや改行による文字表示位置の演出的調整は頻繁に行われている(註24
註24) 文字の視覚的造形を利用するのは逆に、マークを文字として使用するものもある。汗マークや青筋マークを文中で(句点乃至感嘆符の代用のように)使用することは、AVGのテキストにおいては稀ではない(――代表的なのがF&C作品)。武藤礼恵のように文末ハートマーク「♥」を多用するライターもいる(――『恋する妹はせつなくてお兄ちゃんを想うとすぐHしちゃうの』CAGE、2003年]、『はちゅかの』めろめろキュート、2006年]、『ツイ☆てる』C:drive.、2007年]など)。
 二度目以降のプレイで、テキストに変化が生じたり追加選択肢が発生したりすることも、稀ではない。いわゆるループものの作品においてそれが顕著であり、そのコンセプトを突き詰めた一例として『夢幻廻廊』Black Cyc、2005年)がある。ほぼ同一の事象継起が、一度目はただ単に表面的に描写され、そして二度目はその凄惨な実像が詳細に描写された。複数のストーリーが並行的に展開するザッピング型構成の作品(例えば『わーきんぐDAYS』Blue Impact、2001年])においても、シナリオαの進行状況に応じてシナリオβのテキストをその都度変化させる操作は、大きな効果を挙げうる。
 特徴的な語尾によってキャラクターに個性を付与する手法――台詞の話者を識別させるための手法でもあったと思われるが――はすでに廃れたが、口癖や決め台詞は、キャラクターを特徴づける一手段として現在も時折使用されている(註25
註25) 実例についてはErogameScapePOV「変な口癖」を参照。

 (γ)その他。発話者欄が表示されうるのもAVGの特徴であり、そしてここにも(しばしば遊戯的な)仕掛けが組み込まれ得る。メッセージボックスの名前欄を、本人の名前以外のもの(例えばその時点で主人公が認識し得た暫定的な人物像や、当人の嫌がる渾名など)へと勝手に書き換えてしまうものがその代表的な用例であり、とりわけ丸谷秀人J・さいろーが好んで実行している(――『奥さまは巫女?R』pajamas soft、2004年]、『ゆのはな』『CloverPoint』Meteor、2007年]など)。コント的演出に用いられるのが通例である。同様に、地の文(あるいはナレーションテキスト)についても、AVGに特有の表現技巧を凝らす余地がある。そのほか、メッセージウィンドウに関しては3章2節6款(↑)を参照。
 主人公やヒロインの名前を任意に設定できる名前変更機能は、デジタルメディアならではの柔軟性である(註26。名前以外にも、主人公の好きな食べ物や生年月日などを自由に入力させるという着想は、PCゲームにおいても家庭用ゲームにおいても古くから知られており、そして度々実行されてきた。テキストの特定フレーズを任意の文字列へと自動一括置換する操作は、書籍媒体ではほぼ実行不可能である。口頭媒体であるTRPGでも同様のことを行いうるが、PCゲームにおいてはその処理が完全に自動化されているという長所がある。ただし、音声表現と抵触するという問題はある。
註26) ErogameScape属性「主人公の名前を変更可」と並んで、名前変更可ゲームスレまとめが多数の実例を挙げている。なお、PCゲーム以外の媒体での例としては、ウェブ上で公表されているいわゆる「ドリーム小説」――JavaScriptやcookieを用いて登場人物の名前等を任意に変更できるウェブ小説――もこれと同じ発想に立つものと言える。


 (2)グラフィクス面では、視覚芸術一般の表現技巧が様々に援用され得る。大別すると「立ち絵画像」「背景画像」「イベントCG」「カットイン画像」「エフェクト素材」「動画」の六種類がある。カットイン及びエフェクトについてはすでに1章1節(↑)及び3章2節(↑)で言及し、動画については3章3節(↑)で概観した。
 AVGの画面は、静止画像素材の組み合わせによって構成されるのが通例である。しかし、さまざまな手段によって、画面に動きを与えあるいは視覚表現を拡充していくことができる。すなわち:第一に、差分切り替えによる変化(――立ち絵表情変化やポージング変化など)。第二に、背景画像スクロール、立ち絵アクション、画面クエイクなどの動的操作。第三に、MPEGデータ等のムービー素材の使用。そして最後に、3D化。

 (α)立ち絵について。AVG特有の立ち絵操作や差分表現については、すでに述べた(cf. 1章2節[↑]、3章1節[↑]。立ち絵や背景画像は、通常は汎用素材と見做され、原則として最初から最後まで同じものが使用され続けるというのが、作り手と受け手双方の暗黙の了解である。ただししかし、それゆえにこそ、そこに変化がもたらされたときには、非常に強い印象を与えるものとなる。実際にも、古典的実例としての『To Heart』の「神岸あかり」以来、髪型を変更するヒロインは幾度となく描かれてきた(註27
 このような汎用的性格からして、PC用AVGにおける立ち絵素材は、記号的に様式化された表現との間に親和性を持つ(――あるいは、記号そのものである)。とりわけ頭髪色や身長やプロポーションといった外見的特徴によって登場人物の性格造形を視覚的に表象する方法は、現在広汎に普及している。もちろんこれは外見と性格のギャップを与える場合にも用いられるし、また作品の趣旨によっては登場人物をあえて黒髪に統一する場合もある。さらに、複数のキャラクターの頭髪や瞳を同色にすることによって、それらが血族関係にあることを(明示的または黙示的に)表すことも少なくない。また、例えば『恋姫†無双』BaseSon、2007年)は、陣営毎に服飾デザインの統一を図っており、例えば蜀軍所属武将たちの服装は、いずれも羽根飾りや羽根模様があしらわれている。同様に『ヴェルディア幻奏曲』Escu:de、2008年)では、キャラクターの衣装に、各自が演奏する楽器のデザインが織り込まれている。これらはPCゲームに特有の記号的演出であり、現在ではほとんどAVGの標準的文法の一部を成している典型的な技法である(――ただし、こうした記号性を転用することも容易である。例えば同一の立ち絵画像を用いて双生児、変装者、ドッペルゲンガーなどが表現されうる)。
註27) 実例についてはErogameScapePOV「イメチェンするヒロイン」を参照。

 (β)背景画像が作品全体の印象に深く関わることは、すでに述べた(cf. 3章2節3款の註10[↑]、4章3節2款[↑]。屈託を抱えた復讐譚であれば背景CGにも陰影の濃い着彩が相応しいし、ファンタジー世界を舞台とする作品においては背景画像での小道具及び大道具の描き込みはその作中世界のリアリティをなによりも雄弁に物語る。オレンジ色の境界線によって二つに分断された都市(『FESTA!!』)、あらゆるものが臓物のように見えてしまう状況(『沙耶の唄』)、不思議な無人島での遭難生活(『南国ドミニオン』)、地表の半ばが水没した近未来の東京(『はるかぜどりに、とまりぎを。』)、作戦行動中の潜水艦内(『蒼海の皇女たち』)、太陽の昇らない常闇世界(『月と魔法と太陽と』Silver Bullet、2008年])といった奇抜な場景の描写は、その説得力をとりわけ背景画像に負っている。月夜の空、広がる青空、寒々しいコンクリート建築等の視覚的印象が物語全体をシンボリックに方向づける場合もある。例えばBaseSon作品における、目を射す夕陽。あるいは『羊たちの憂鬱』フェアリーテール、2002年)や『天使のいない12月』Leaf、2003年)における、学園生活のむなしさを体現するかのような空漠とした背景画像。
 特定の背景画像がイベントCGにも匹敵する存在感を発揮することも、けっして稀ではない。とりわけ、同一の場所を描いている筈の背景CGが様変わりした時には、著しく強い衝撃を与える。例えば『パンドラの夢』『R.U.R.U.R』においては、時の経過とともに風景が次第に荒れ果てていく。『神樹の館』Meteor、2004年)では、館の内部がその有様を変じていく。『白銀のソレイユ』及び『11 eyes』は、赤黒い異界フェイズに移行する。同一のロケーションで季節に応じて景色の彩りを変化させる(桜/青葉/紅葉/雪景色)のも、しばしば優れた効果を発揮する(――例えば『めぐり、ひとひら。』『カルタグラ』『雪影』)。
 背景画像の中に細工を施す実例としては、『青空がっこのせんせい君。』すたじおみりす、2007年)と『とっぱら』キャラメルBOX、2008年)がある。両者とも、背景に小型妖怪たちが出没するユーモラスな演出が行われている。背景アニメーションによる演出強化についてもすでに紹介した(cf. 1章3節[↑]、3章2節5款[↑]

 (γ)イベントCG(いわゆる「一枚絵」)は、AVGにおいては特別の意義を有する。一つには、イベントCGは単なる描写のための写実的静止画像にとどまらず、高い自立性を持つイメージイラストとしての性格をも持ち得る。それゆえ、通常のAVGパートでは許容されないような特殊な表現形態及び表現技巧が、イベントCGにおいては特権的に容認される。例えば、非写実的な視覚効果等の描き込み、画面のコラージュ的分割(カットインに類する)、人物画像のデフォルメ(意図的便宜的なデッサン無視を含む)、誇張的なパースの採用(魚眼レンズ風に湾曲させた背景表現など)、比較的自由なフォーカシング、一人称主人公の身体の画面内登場、等々。これらがイベントCGにおいて(おいてのみ)公然と許されている。通常のAVGパートから、彩色タッチや画角を大きく違えてみせるものもしばしば見られる。
 のみならず、AVGにおけるイベントCGは、その存在それ自体について特権的地位を認められている。「ストーリー上重要なシーンではイベントCGが表示される筈だ(あるいは、そうあるべきだ)」という認識は、現在の国内PCゲームシーンにおいて広く共有されている暗黙の前提である(註28。それゆえ、イベントCGをどの場面で使用するか(どの場面に何枚割り振るか)は、演出上も構成上もきわめて重要である。
 こうした重要性のゆえに、イベントCGを表示する際にはしばしば特殊な演出的処理が施される。例:画像表示に際してウェイトや装飾的なエフェクトを掛ける。クロスフェード表示する。サイズの大きい画像をスクロール表示(パンニング)していく。画像一部分のクローズアップ表示から入り、次第にズームアウトして画像全体を表示する、あるいはクローズアップから切り替えて画像全体を表示する。画像の一部を切り取ったカットイン的表示から、画像全体のフルサイズ表示へ移行する。等々。
註28) 現在この分野の作品においては、イベントCGを収集制覇すること(CGコンプリート)が、その作品を読了したことの判定基準となる、あるいはそれと同一視されるのが通例となっている。これは、上記の暗黙の了解を逆算したものであろう。エンディング一覧を表示する作品が少ないのも、おそらくこれと関連する。CG制覇が読了確認のための基準として十分であるならば、エンディング一覧はもはや不必要であろうから。
 ところで、演出強化された現在のAVGにおいては、イベントCG以外の各種素材(立ち絵差分、背景画像、各種演出オブジェクト)も大量に制作され使用されており、それゆえイベントCG枚数のみでゲーム全体の規模や充実度を測ることは困難になっている。例えば『えむぴぃ』のCGモードに登録されるイベントCGはわずか74枚であり、『はるかぜどりに、とまりぎを。』に至っては65枚に過ぎない(――2008年現在の標準的なフルプライス作品のイベントCG枚数は、おそらく95枚程度である)。しかし、これらの作品が空疎さの印象を与えることはおそらく無い。何故なら、これらの作品が緻密な立ち絵アクションと的確なカメラワーク操作を施しているからであり、さらにはCGモードに登録されない様々な演出素材を大量に投入しているからである。演出技術の多様化は、ゲーム内容の多層化とともに、ゲームの価値基準の多元化をもたらしている。

 (δ)SD絵の普及。極端に頭身を引き下げた人体バランスと、簡素に省略された描き込みとによって特徴づけられる、いわゆる「SD(スーパーデフォルメ)」は、現代のPC用AVGでも積極的に利用されている。当初用いられていたのは主としてSLG作品における視覚表現の場面であったが、次第にAVG作品の中でもカットインや一枚絵として多用されるようになってきた。比較的早い時期の採用例として、『Lien』PURPLE、2000年)と『君が望む永遠』がある。近年では、広告媒体上でSD原画担当者が明示される事例も増えている。
 SD絵の長所としては、(1)その画風がコミカルな場景を表すのに適している、(2)通常の立ち絵画像との落差が視覚的抑揚に寄与する、(3)画風そのものがデフォルメに強く傾斜しているため誇張的表現に堪えうる、(4)制作コストが低いため視覚表現充当に活用できる(イベントCG追加が容易)、(5)描き込みが少ないためアニメーションさせやすい、といった事情があると考えられる。


 (3)音響表現上の技巧。すなわち背景音楽(BGM)、音声(ヴォイス)、効果音(SE)に関する演出(――このほかに、特殊な地位を占める音響素材として、主題歌及び挿入歌も挙げられる)。聴覚表現上の演出に関しては、とりわけ映像芸術においてすでに多大な蓄積があるが、しかしAVGに特有の演出も少なからず存在する。

 (α)BGMについて。AVGにとってのBGMは、キャラクターやムードを描写する表現手段の一つであるとともに、それにとどまらず、ひとまとまりのシーン(の継時的同一性)を成り立たせる要素として、おそらく他分野(例えば映画)におけるBGMの機能と比べてもいっそう大きな重要性を持っている。
 なかでもキャラクター専用BGM(各キャラクターのテーマ曲)は、アダルトゲームが実践してきた特徴的な音響利用手法の一つである。これは音響面からキャラクター(のアイデンティティ)を表現するものであり、ここではBGMがいわばライトモティーフ的機能を担っていると言える。これを応用して、例えば親族関係にあるキャラクター同士の専用BGMで共通の主題が使用されることがある(――有名なのはLeaf作品の「長瀬一族のテーマ」)。劇中でキャラクターが楽器を演奏する作品では、そのキャラクターの専用BGMにおいてもその楽器が使用されることがある。これもキャラクター表現と音響表現を結びつけるユニークな演出である。実例として『ぶらばん!』ゆずソフト、2006年)、『ヴェルディア幻奏曲』がある。
 楽曲のアレンジ(編曲)が利用されることも多い。最も典型的には、本編中の重要なシーンやエンドロールにおいて、メインテーマをアレンジした曲が流される。さらにこれを拡張して、一作品内のBGM各曲の間で動機共有または主題-変奏を行っている作品もある。この場合には、循環形式相当の効果をもって作品全体に強い統一感が与えられる。映画音楽において開拓された手法であるが、近時PCゲームにおいてもBGM作曲の通常形態として広汎に普及しつつある。『水月』をはじめとして、『Aster』RusK、2007年)、『明日の君と逢うために』『とっぱら』『エインズワースの魔物たち』アイル、2008年)等々、実例はすでに無数に存在する。
 クラシック、童謡、民謡などの既成有名曲を用いて、そのイメージに訴えるものもある(註29水無神知宏がシナリオを手掛けた『Crescendo』D.O.、2001年)と『せ・ん・せ・い3』D.O.、2002年)はその優れた例証である。他方で、意図的に場違いなBGMが使用される場合もある。例えば『Rance』シリーズにおけるアダルトシーン用BGM「我が栄光」は、旧東ドイツ国歌をアレンジした勇壮な曲想である。また『ラムネ』ねこねこソフト、2004年)には、日常シーン用BGMのままアダルトシーンへ移行する場面があり、特異な効果を挙げている。
 さらに、場合によっては無音表現(BGMが鳴らされていない状態)も演出となる。『果てしなく青い、この空の下で…。』TOPCAT、2000年)、『ヤミと帽子と本の旅人』ROOT、2002年)、『SWAN SONG』の無音進行は名高い。
註29) 国内PCゲームにおけるクラシック音楽の利用については、とおくのおと出張版内の記事クラシック音楽が使われているエロゲのまとめを参照。BGMとしての使用例のみならず、作中で登場人物に言及乃至演奏させる場合も含めて、70本以上の実例を詳細に紹介している。
 童謡及び民謡については、例えば『とおりゃんせ』Crime、2000年)が「とおりゃんせ」を使用し、また『るいは智を呼ぶ』暁WORKS、2008年)が「かごめかごめ」を使用している。いずれも不気味なムードを表現する際に用いられている。他方で『R.U.R.U.R』では、「夕焼小焼」や「はないちもんめ」が哀感のある使われ方をしている(――そのほかマザーグースからの引用も見られる)。『神樹の館』には「草迷宮」の一節を唄った手鞠唄があり、『FOLKLORE JAM』HERMIT、2003年)と『とっぱら』にも(どちらもおそらくオリジナルの)数え歌が唄われている。『巫女みこナース』PSYCHO、2003年)の主題歌は、京都の通りの数え歌の一節を引用している。『片恋いの月』及び『Wizard's Climber』は、学園生活のイメージを喚起する趣旨でオクラホマミキサーを使用している。『SEVEN-BRIDGE』はグリーンスリーブスや「大きな古時計」を使用しており、『僕と彼女とココロの欠片』MilkyKiss、2003年)は「スカボロー・フェア」等の有名曲をアレンジしてBGMに使用している。また、上記「まとめ」ページによれば、『灰被り姫の憂鬱』MBS truth、2001年)では「埴生の宿」が編曲のうえで使われているという。これらの中で最も名高く最も印象的だとされるのは、『螺旋回廊』における「赤鼻のトナカイ」である。

 (β)音声(ヴォイス)に関しては、テキストと音声の二重性(文字表現と聴覚表現のマルチメディア出力)を利用するものが、AVGに特有の表現技法として指摘できる。最も典型的な使用法は、テキストの文面と異なる台詞を音声で読み上げることによって、ルビ振りに相当する多層的表現を行うものである(――例えばテキストで「M1911A1」と表示される箇所を音声では「ガバメント」と読み上げし、「門前清一色」と書いて「メンチン」と読ませる)。長台詞の文面を「(以下略)」と省略し、あるいは小声の台詞を「……」と書くのはその応用である。この技法を包括的なかたちで使用した例が、『永遠のアセリア』xuse、2003年)における他言語表現である(――音声は独自言語そのままに発声されるが、テキストは日本語で、いわば映画字幕のように通訳して表示される)。さらに、テキストと音声がそれぞれまったく別の台詞を出力する『SEVEN-BRIDGE』のポリフォニズム表現は、この発想を先鋭化させたものである(――例えば、テキストではその人物が実際に発話した内容を表示し、それと同時に、音声ではその人物の内心の声を語らせる)。
 他方で音声出力そのものを機能的に複数化するアプローチとしては、(主にアダルトシーンにおける)バックグラウンド音声(BGV)が代表的である。脇声台詞(ガヤ音声)をSE扱いで出力するぱれっとの重唱表現もこれに類する技法である(cf. 3章1節2款[↑]『FESTA!!』『満淫電車2』のように、メッセージウィンドウをも複数化する手法もある(cf. 3章2節6款[↑]
 2008年現在においても、大半の作品は主人公の台詞に音声を与えていない(――おそらくコストの問題や制作進行上の事情があるのだろう)。しかし、主人公の台詞にも音声を付与し、さらに主人公一人称視点のモノローグをも音声出力する(あるいは地の文をぎりぎりまで排除して書く)ならば、密度感と迫真性に富んだシアトリカルな表現空間を創出することができる。実例として、『ときどきパクッちゃお!』XANADU、2004年)、『ひめしょ!』がある。
 このほか、音声単体での演出としては、システムヴォイスやタイトルコールでの(しばしば遊戯的な)趣向が凝らされる場合もある(――ただし、この点に関しては、SLG作品の方がいっそう多様かつ柔軟な音声利用を行っている。例えばソフトハウスキャラ作品)。そもそもAVGの音声制作は、舞台芸術や実写映像作品の場合と比べると、音声のみのスタジオ収録であるという事情があり、またアニメ作品と比べると、基本的に個別収録であるという事情がある。さらに、制作順序としてはアフレコ的性格だけでなくプレスコ的側面をも持ち得る。そして、これらの条件を利用して、様々な音響演出を行う技術的余地が生まれている(――例えば兼ね役演技や多重発声表現が、比較的容易に実行できる)。
 時として、個々の声優の属人的事実への注目を前提とする表現も存在する。典型的なのは、その声優が過去に演じた別のキャラクターの台詞を引き合いに出すパロディ台詞である。ここでは、その役者の出演歴に関する知識が要求される。

 (γ)効果音は、現在では一つの作品に200種以上準備されている場合すらある。
 効果音は、AVGにおいても重要な描写手段の一つである。例えば、人物立ち絵を消去して同時に「ドスン」とSEを出せば、そのキャラクターが転倒したことを表現できる。また例えば、開栓音(「プシュッ」)と嚥下音(「ゴクゴク」)によって、主人公が缶ドリンクを飲む一連の動作が、テキストも画像も一切使わずに描写される(――実例については3章2節7款[↑]を参照)
 BGMのように継続出力されるアンビエントな効果音(環境効果音)の手法も、近年多くの作品が導入するようになっている。市中雑踏のざわめき、教室内の談笑、秋の虫の音、雨天時の静かな雨音などのSEは、その状況の臨場感を増すものである(cf. 3章2節の註9[↑]。早期の、かつきわめて優れた実例として、『果てしなく青い、この空の下で…。』がある。


 (4)選択肢とフラグに関して
 (α)選択肢は、AVGの特徴的なメカニズムであり、そしてAVGにおける進行分岐の代表的な契機である(註30
 選択肢場面における演出の代表例が、時間制限付き選択肢(時限選択肢)である。『学園ソドム』PIL、1995年)が最も早期の使用例とされるが、近年でもHOOK『Orange Pocket』[2003年]以来の「RTC(リアルタイムクリック)」システム)を初めとして、『DEEP VOICE』『かみさまの宿っ!』White Cyc、2006年)、『姦染』シリーズ、『蒼海の皇女たち』等に見られる。
 選択肢がすべて同一文言であって選択の意味が無いものがある。選択の余地が無いことを逆説的に表現するレトリカルな演出である。『恋姫』シルキーズ、1995年/elf、1999年)、『こみっくパーティー』Leaf、1999年)、『パンドラの夢』『さよならを教えて』CRAFTWORK、2001年)、『もしも明日が晴れならば』『えむぴぃ』等の実例がある。『雪影』の一択選択肢も、同じ趣旨であろう。
 『です☆めた』Sincere、2004年)には大量の即死選択肢がある。主人公が虚弱な吸血鬼であるため、銀製品に触れたり日光を浴びたりする行動を選択すると主人公が即死してゲームオーバーになるというものである。『ブラウン通り三番目』の冒頭にも、ユーモラスな即死選択肢がある。即死選択肢とは逆に、どれを選んでもシナリオ分岐には一切影響しない純然たる遊戯的選択肢が現れるのも、現代AVGの常態である。
 その他。『ガッデーム&ジュテーム』circus、2004年)は、選択肢がすべて「ガッデーム or ジュテーム」の二択である。選択肢システムを逆用した演出の例として、『白詰草話』には、プレイヤー(主人公)ではなく他の登場人物が選択肢を選択してみせる演出がある(「STRAY SHEEP PROGRAM」)。『六ツ星きらり』千世、2004年)にも同種の演出がある。
 そもそも、選択肢(コマンド選択)等によって複数の分岐展開が発生し、そしてそれゆえ複数の結末が存在するといういわゆる「マルチシナリオ」構造は、AVGに特有のものである。「選ばれなかったヒロインの運命」に思いを馳せるのは、小説読解に関しては噴飯ものの発想であるとしても、AVG受容においては必ずしも排除されねばならないものではない。実際にも、暗示的なタイトルを持つ『Kanon』Key、1999年)に際してこの議論がなされたし、実作においてもこの事情を意識した作品は多数存在する。こうした考慮から「大団円エンド」または「ハーレムエンド」が用意されることも少なくない。また、それら複数の結末の間に構造上乃至内容上の内的関連を与えようとする動きの一つとして、前述のループもの作品がある。複数主人公型構成(群像劇型ルート分岐やオムニバス形式)も、ルート間の内容的衝突を回避する方法の一つである(――近年では例えばRusK作品)。
註30) 選択肢に関わる演出全般については、ErogameScapePOV「選択肢が印象的」に多数の実例が挙げられている。

 (β)フラグ。プログラム上の変数操作による進行分岐要件は、フラグ(flag)と呼ばれる。
 フラグ設計上の演出は、事実上すべてのブランドのすべての作品において行われていると言える。ゲームの進行制御の仕方は、作品全体の見せ方に深く関わる。例えばルート制御(あるいは分岐管理。つまり「各ルートシナリオをどのような順序で読ませていくか」)は、シナリオ構成上きわめて重要である(註31。また、「どこでどのような選択肢を提示するか」はもちろんのこと、例えば「特定の選択肢にどれだけの重みを与えるか」、あるいは「特定の選択肢選択を、どの場面へどのように影響させるか」といったような個別的操作も、広義の演出に数えられる。精緻なフラグ体系を伴うAVG作品の実例として、丸谷秀人の手掛けた『女郎蜘蛛』PIL、DOS版:1997年/真伝:2002年)と『SEX FRIEND』は名高い。
 しかし、そうしたフラグ操作は通常はプレイヤーの眼前に明示されないものであるし、さらにチャート型攻略サイトの存在(及び普及)によってプレイヤーはフラグ演出を自ら経験する可能性を失いつつある。制作者サイドにも、選択肢の極小化へと傾斜するブランドが出現しており(とりわけMeteorPULLTOP)、さらには作中に選択肢が一切存在しない作品も存在する(註32)。『EXTRAVAGANZA』Black Cyc、2006年)や『つくとり』ruf、2007年)のように、選択肢ではなくルートナビ型進行制御(のみ)によってストーリー分岐する作品もある(cf. 4章2節1款[↑]及びその註18[↑]『HoneyComing』HOOK、2007年)の「オンリーワンモード」も野心的な試みである。特定のヒロインのオンリーワンモードを決定すると、このモード上では進行分岐がそのヒロインのルートのみに固定されるというものである。
註31) AVGにおけるルート分岐形態の一般的分類及びそれぞれの特質の分析について、ウェブサイトアルカナム電脳遊戯研究所の記事複数ルートの組み立て方を参照。

註32) 『最果てのイマ』には選択肢が一切無く、リンクシステムによってストーリーに変化がもたらされる。『Aster』もストーリー選択のみである。低価格作品の中でも、『鬼哭街』nitro+、2002年)や『潮風の消える海に』light、2007年)には選択肢が存在ず、そしてそれゆえストーリー分岐が存在しない。
 初回プレイ時(一周目)には選択肢が存在せず、ある特定のエンディングにしか到達できないようになっている作品もある。『PRINCESS WALTZ』PULLTOP、2006年)、『H2O』、2006年)、『R.U.R.U.R』がこれに該当する(――『Aster』もこれに類する)。このような構成は、シナリオを読ませる順序についての制作者の強い設計意志を反映していると言えるだろう。
 非AVG作品の中にも、AVGパート上の選択肢が一切存在しないものがある。『LEVEL JUSTICE』がその一例であり、冒頭のプロローグイベントをスキップするか否かの選択肢を別とすれば、本編中にAVGパート上の選択肢は一切出現しない。本作のストーリー(イベント)の進行及び分岐のすべては、SLGパート上の諸作用のみに基づいている。拙稿「リメイク」論7章2節3号を参照。『マジカライド』(ActG、ただしミドルプライス)も、AVGパート上の選択肢を持たない。


 (5)その他、AVGの構造に関わる演出
 (α)トータルデザイン。ゲーム画面のレイアウトそれ自体、あるいはインターフェイスの視覚的聴覚的デザインは、作品全体の印象に大きく影響する。現在ではほとんどのブランドが多かれ少なかれ意識的に取り組んでいるが、その優れた実例の一つとして近時のEscu:de作品を挙げておく(註33『ワンダリング・リペア!』ではインターフェイスやアイキャッチが時計の内部構造(歯車)になぞらえたデザインになっている。また『ヴェルディア幻奏曲』は楽譜や音楽記号の形象を各所にあしらっている(――例えばテキストボックスは五線紙を模しており、クリック待ちアイコンはフェルマータ記号になっている)。両作品は、音響面をも含めた繊細な演出を行っている。インターフェイスの洗練は、SLGにとって重要であるだけでなく、AVGにおいても同様に重要である。
註33) 『ワンダリング・リペア!』及び『ヴェルディア幻奏曲』両作品のディレクターは水鼠、システムグラフィック担当ははなたかれとも及び蒼瀬

 (β)タイトル画面(ゲーム開始画面)は、プレイヤーが作品に接する最初のインターフェイス部分であり、作品の「顔」としての重要性がある。それゆえ、タイトル画面にはしばしばメインテーマ曲がBGMとして流されている。
 タイトル画面は、しばしば遊戯的細工の対象となる。表示されるキャラクターやタイトルコールの音声がランダム変化するものが代表的であり、またあるいは起動日時に応じてタイトル画面に様々な変化が生じるものもある。例えば『ファンタジカル』は、日中に起動するとタイトル画面が明るく、夕方に起動すると橙色に染まっているといった変化がある。『プリンセスうぃっちぃず』は、祝日や登場人物の誕生日など特定の日付で起動すると特殊なヴァージョンになる。『ワンダリング・リペア!』では、タイトル画面に時刻読み上げ機能が設けられている。タイトル画面に動的演出(動画アニメーション)を導入した作品もあり(『はるかぜどりに、とまりぎを。』)、起動時にアヴァンタイトル風のシークエンスを組み込んだものもある(『少女魔法学 リトルウィッチロマネスク』)。タイトル画面のまま放置しておくとなんらかの変化が生じる場合もある。『瀬里奈』アトリエかぐや、2004年)ではタイトル画面全体が次第に夕陽の朱に染まっていき、Purple software作品ではキャラクター紹介デモが始まる。
 機能上の意味を伴う演出としては、ゲーム進行状況に応じてタイトル画面を変化させる作品が多数存在する。例えば、到達エンディング数などによってタイトル画面が変化する作品(『月陽炎』すたじおみりす、2001年]、『パンドラの夢』『彼女たちの流儀』130cm、2006年]、『片恋いの月』『きっと、澄みわたる朝色よりも、』propeller、2009年]など)。あるいは、エンディングを迎えたキャラクターの姿がタイトル画面に現れていく作品(『うさみみデリバリーズ!!』すたじおみりす、2003年]、『天使のいない12月』『PRINCESS WALTZ』など)。さらに、全ルートクリアするとタイトル画面が様変わりする作品がある(『水月』『カルタグラ』『さくらシュトラッセ』など。作品の完結を強く印象づける演出である)。他方で、初回起動時のゲーム開始形態について特殊な演出的処理を施す作品もある(『天使のいない12月』『朱』ねこねこソフト、2003年]など)。以上のほか、特定のフラグ充足(通常ルートの全クリアなど)によって、タイトル画面で特殊なモード(エクストラシナリオなど)が開放されるという作品も数多く存在する。

 (γ)アイキャッチ章構成話数制等によって内容区分を行う作品が増えている。アイキャッチによる視覚的効果を意図したものか、TV番組(とりわけアニメ作品)の様式感覚に倣ったものか(註34、それとも内容の長大化に際してブロック化によって可読性を向上させようとするものであろうか。アイキャッチは、プレイヤーに対するサインとなる場合もある(――例えば、現在どのキャラクターがクローズアップされているか、あるいはどのキャラクターのルートに入っているかなどを示す)。『カルタグラ』及び『フリフレ』Noesis、2009年)は、アイキャッチ演出の秀逸な見本である。
 章構成に類似した構造的分割として、製品版とは異なる独自内容の予告編体験版を作成するブランドも存在する(――ErogosInnocent Greyすたじお緑茶など)。また他方で、作中作を伴う作品もある(――『Piaキャロット』シリーズやソフトハウスキャラ作品、そしてとりわけ『長靴をはいたデコ』)。
註34) 次回予告演出を伴う作品も少なくない。古くは『With You』F&C/カクテルソフト、1998年)において実行されており、その後も使用例は数多く現れている。とりわけpajamas softぱれっとキャラメルBOXfengは、複数の作品で次回予告パートを含む話数制シナリオ構成を採用している。『WW&F』MBS Truth、2004年)や『腐り姫』Liar-soft、2002年)のように幕間劇の体裁をとるものもある。

 (δ)コンフィグ等。コンフィグの充実は、プレイアビリティに深く関わる。近年では、すぐれたゲームエンジンの普及及び改良の過程で、コンフィグ機能も劇的に拡張されている。
 演出に関連する機能として、装飾的なパラメータ表示や遊戯的なコンフィグ項目を持つ作品もある。例えば『ゆのはな』の所持金変動表現、『Piaキャロット』シリーズの制服選択機能、G.J?作品のバストサイズ変更機能、『夏めろ』AcasiaSoft、2007年)の各種コンフィグ(靴下ON/OFF、仮性ON/OFF)などがある。BISHOP作品には、「ぬぎぬぎシステム」、すなわちキャラクター立ち絵を下着ヴァージョンまたは全裸ヴァージョンで表示させるコンフィグがある。同種の機能は『お嬢様組曲』Symphony、2005年)の「乙女の恥じらい」システムにも含まれている(――このシステムには、ベッドシーンでのヒロインの反応の激しさを選択できるコンフィグも含まれている)。『あえかなる世界の終わりに』キャラメルBOX、2005年)にも、立ち絵が珍奇なデフォルメ画像になる「お饅頭モード」がある。『へんし〜ん2』May-Be SOFT、2005年)には「淫語増量システム」があり、ON/OFFを切り替えることによってテキストが部分的に変化する。眼鏡ON/OFF機能を設けている作品もいくつか存在する。これらは、先述のシステムサポート演出(cf. 3章1節2款[↑]やSLGパート上の演出(cf. 4章2節2款[↑]にも近い性質を持っており、また場合によってはオプショナルな表現抑制機能(cf. 4章5節2款[↓]をも持ち得る。

 (ε)PCソフト特有の拡張性を活用するもの。
 追加パッチやアペンドデータによる機能拡張が行われることがある(註35。例えば『夏ノ空』みるくそふと、2004年)の「しまぱんパッチ」、『皇涼子のBitchな1日』CODEPINK、2008年)の追加シナリオ配信、『LOVE&DEAD』の追加データ販売など。
 シリーズものの作品で、前作のデータを継承できる場合もある。『univ』カクテルソフト、恋編:2001年 → 愛編:2002年)、『マブラヴ』(無印 → 『オルタネイティヴ』)、『BALDR SKY』戯画、Dive1 → Dive2:ともに2009年)。シリーズもの以外でも、自社旧作がインストールされている場合にテキスト等に特定の変化を生じさせるものもある。実例として『Pure Mail』Overflow、2000年)が知られている。
 さらに、近時のlight作品は「アナザーストーリー」システムを実装しており、これによってユーザーは製品中の素材を用いて独自のシナリオを作成することができる(註36
註35) 実例についてはErogameScape属性「拡張ダウンロードあり(有料)」及び属性「拡張ファイル/追加ファイルあり(無料)」を参照。近年では予約特典アイテムの形態を採ることも多い。
 この種の追加的機能拡張は、AVG作品だけでなくSLG作品においても行われている。例えば『ままにょにょ』alicesoft、2003年)の各種拡張プログラム(ユニット追加、マップ追加、機能拡張)、『戦国ランス(Rance VII)』alicesoft、2006年)の「拡張シナリオファイル」、『月神楽』Studio e.go!、2007年)の追加シナリオダウンロードサーヴィスなど。Studio e.go!Eushullyの作品には、シナリオ追加や機能拡張を可能にする「拡張パック」乃至「アペンドデータ」を原画集乃至ファンブックに収録しているものもある。

註36) Malie Systemエンジン。機能としては、一時期のPCゲーム二次創作で流行したDNMLに近いものである。類似のものとして、ウェブ上での企画『明日の君と逢うために』スピンアウト!がある。この発想をさらに極端にしたものとして、『佐野俊英が、あなたの専用原画マンになります』G.J?、2009年)がある。
 非AVG作品においても、リプレイデータ、キャラクターカスタムデータ、ユニット育成データ等の出力機能を設けることによって、ユーザー間のデータ交換手段を(明示的または黙示的に)提供している作品がある。実例としては、『BALDR FORCE』戯画、2002年)、『巫女さんファイター涼子ちゃん』すたじお緑茶、2006年)、『3Dカスタム少女』Tech Arts3D、2008年)、『Wizard's Climber』『勇者からは逃げられない!』ILLUSION、2009年)等がある。

 (ζ)あるいは逆に、AVGの構造上の制約や技術上の限界に対して、フィクション内部から言及するもの。例えば背景素材が作成されなかったため黒一色背景であること、脇役キャラクターに立ち絵素材が無いこと、主人公がプレイヤーによって操作されていることなどを、作中の登場人物みずからが揶揄する。楽屋オチとして敬遠されもするが、PCゲームはその構造上の成り立ちをプレイヤーにも意識させやすいため、他の媒体で行うよりもいっそう効果的にサタイアが作用する(――遊戯的表現を目指す場合にも、ジャンル反省的含意を意図する場合にも)。作中の登場人物がプレイヤーに向かって語りかける場合もあり、またあるいは逆向きの事態が生じる場合(『生贄の教室』ruf、2003年])もある。
 同じ事情が、例えば偽エンディングにも当てはまる。『FESTA!!』の冒頭部分、『えむぴぃ』の某ルートなど。SLG作品の非正規エンディングも、これに類する意義を持ちうる(――『鬼畜王ランス』alicesoft、1996年]のいくつかのエンディングや、『ブラウン通り三番目』冒頭の即死選択肢など)。

 (η)その他の様々な遊戯的乃至実用的な機能。
 クリックすると画面が表計算ソフト風画像などに切り替わるボタン(――「ボスが来たキー」「パニック画面」などと俗称される)。ういんどみる作品が実装している最小化時メモ帳偽装機能も同じ発想に立っている(註37
 タイトル画面等で特定の文字列をキーボード入力するとゲーム内でなんらかの変化が生じる隠しコマンド。古くはD.O.作品において、またあるいはHOOK作品、すたじお緑茶作品、キャラメルBOX作品において。
 インストール中に一定の視覚演出オブジェクトを表示しておくもの。最も先駆的だったのはF&Cであろうか。
 本編外におまけミニゲームを搭載しているもの。Cyc作品がしばしば設けているカードゲーム(例えば『MinDeaD BlooD』Black Cyc、2004年])、『Dear My Friend』light、2004年)の「おまけパズル」(イベントCGを用いた15ゲーム)、ソフトハウスキャラ作品のおまけクイズなど。
 その他、様々なコンフィグ調整機能が案出され実装されている。
註37) 実例についてはウェブサイトエロゲについてのあれこれ内の記事二次元妹に萌えているところをリアル妹に見られた大泉くんのばあいを参照。


 (6)小括
 本節が紹介してきたとおり、AVGのあらゆる局面において、さまざまな表現上の試行錯誤が行われてきている。ただしこれらの技術は往々にして、当該パートの制作担当者のアドホックな職人的技巧に強く依存しており、第1章で検討したいくつかのブランドのような組織的包括的な演出制御システムとは事情を異にする。このことを、表現意図に即した柔軟な対応だと肯定的に評価するか、それとも場当たり的対処だと否定的に捉えるかは立場が分かれるであろうが。しかし少なくとも、AVGの成り立ちに対する意識的な姿勢がこれらの中に含まれていることは否定できない。すなわち、立ち絵画像+背景画像+テキスト+音声+BGM+SEによって構成され、選択肢選択によって進行分岐していき、なんらかの(通常は複数の)エンディングに到達するという基本構造(の可能性及び限界)に対する自覚である(註38
註38) AVGのこのような複合表現を成り立たせているのは、あるいはPCゲームの複合的表現に対する我々の理解の仕方は、諸要素のモンタージュ的組み立てであるとするのが最も妥当な説明であろう。『THE GOD OF DEATH』Studio Mebius、2005年)のライターにしてNScripterの開発者でもある高橋直樹による、2006年の宣言的文章エロゲ演出の重要性(ならびにこれと関連する記事群:2005年6月3日2005年8月6日2005年9月4日2007年9月15日2008年1月1日)を参照。
 それに対して、AVGの描写を何かの写実的再現だと見做すのは、私見では誤解であり、あるいは少なくともAVG表現の可能性を著しく狭める見方である。写実志向が強いように見える作品(例えばPurple softwareの作品)においても事情は本質的に異ならず、作品中に生起するあらゆる要素は記号的であることを免れていない(――そしてこの記号的性格は、AVGにおいて数多くの表現文法と豊かな共通言語と様々な演出技巧を生み出す母体となってきた)。AVGに含まれる各要素は常に、制作者が意図したその都度の特定の美的様式の下に、方向づけられ組み立てられている(乃至は、そのように見做される)。原画(絵柄と構図)、CG(着彩スタイル)、BGM(方向性と使い方)、テキスト(文体選択)、キャラクター(設定とデザインと物語中での位置づけ)、各種特殊効果、シナリオ(フラグ構造と場面分節)、インターフェイス、ゲームパート、といったあらゆる要素を組み合わせた意味連関の総体こそが、その作品の表現内容である。
 そして、AVGの基礎的性質に関する如上の理解に立脚するかぎり、演出と表現一般とを区別することは本来不可能である。すなわち、「事実的対象としての表現内容」と「それに対する加工的装飾としての演出」といったような二分法的階層化は、AVG理解として妥当ではない。双方は、完全に同一のものではないにしても、少なくとも不可分のものであり、それゆえ本稿が取り組んでいる諸々の「演出技術」をすべて「表現技術」と読み替えても基本的には差し支えない(※――にもかかわらず本稿がAVG「演出」論を名乗っている理由は、一つには、AVG表現におけるこれらの特徴的な諸側面が現在のAVG受容において「演出」の名で通常呼び習わされているからである。そして第二に、それら個々の演出技術[=表現技術]の存在のみが重要なのではなくて、個々の表現要素に対してそれらを作品全体の中でそのコンセプトに照らして組織化し方向づけする作用としての「演出」の次元もまた[あるいはその次元こそが]重視されるべきだと考えるからである。さらに第三に、これらの演出がただ単に結果的に立ち現れてきた自明当然の所産なのではなくて、ゲーム制作者たちの多かれ少なかれ意識的な労作[=演出努力]によるものだという点を強調したいからである)。


 《第5節:その他のいくつかの観点》

 (1)3D表現と演出
 さらにこの関連では、3D系作品にも言及されねばならない。ここでは詳論しないが、一例として『タイムリープ』Frontwing、2007年)が分厚いコンテ集付きの限定版を発売したことを指摘しておく。3D作品における演出の重要性(必要性と可能性)を例証する事実であり、そして3D技術の可能性を示す事実であろう(――なお、3章3節[↑]の各所をも参照)
 さらに、3D技術がPCゲーム業界に普及し採用されていくにつれて、AVG演出の局所的な改良乃至拡張が進展するだけでなく、現在のAVGの基本構造と様式感覚と美意識が根本的に転換される可能性がある。ILLUSIONTEATIMEといった3D系ブランドの作品群によって、そして直近では例えば「まななつ」Leaf、2009年[『愛佳でいくの!!』所収])によって、そうした可能性が具体化されつつある。


 (2)抑制的演出
 演出強化とは逆に、コンフィグ等によって画像表示の抑制やイベント発生の回避が為される場合もある。それらの作品では、過激描写(レイプシーン等)、残酷描写(暴力シーン等)、醜悪描写(汚物等の不快表現)等のフィルタリングをプレイヤーが選択できるようにしている(註39。これらの表現抑制機能は、過激表現の存在をプレイヤーに警告し、かつその表現レベルをプレイヤーが選択できるようにする点に意味がある。そして、そのような事前の警告選択の余地――つまり、いわばオプショナルなゾーニング手段を――提供することによって、プレイヤーは自らが望むかたちに作品を最適化させて享受できるようになるし、また制作者はいっそう過激な(自由な)内容を含む作品を商業的に成立させ得る可能性を確保する。
 通常の性描写に関しても、アダルトシーンの一部を本編外に分離している作品がある。例えば『プリンセス小夜曲』『Dancing Crazies』の場合には、物語本筋の流れを途切れさせず円滑に進行させるための配慮(消極的な演出)と思われるし、他方で『バルバロイ』xuse、2004年)や『Chu×Chuアイドる』UNiSONSHIFT、2007年)の場合には、ボーナスイベント(おまけサービス)としての性格が強い(註40『うちの妹のばあい 純愛版』イージーオー、2007年)の外伝シナリオや『はなマルッ!2』TinkerBell、2008年)の「if」シナリオのように、本編シナリオとは趣の異なるシーンをパッケージングしている場合には、過激イベントの選択的回避としての側面もあるだろう。
註39) この種のフィルタリング機能を搭載している作品の実例として、以下のものがある。
 過激性描写または特殊嗜好の性描写に関して。『See In 青』alicesoft、2000年)では、レイプシーンの発生を許可するか否かをあらかじめ概括的に選択できる。『奪還機構ラヴネイティア』TEAM暗黒媒体、2003年)にも凌辱ON/OFF機能がある(――ONモードではその過程が詳細に描写され、OFFモードの場合は代替的なイベントが発生する)。『BALDR FORCE』は、アイテムフラグによって過激なアダルト描写を選択化している。『大好きな先生にHなおねだりしちゃうおませなボクの/私のぷにぷに』CAGE、2004年)には「♂スイッチ」機能があり、これを切り替えることによって同性愛シーンを回避することができる。『斬死刃留』の「凶見システム」の下では、悦楽系シーンへ進むか痛苦系シーンにするかをプレイヤーがその都度選択できる。
 残酷描写やグロテスク描写に関しては、例えば『3 days』はスプラッタ画像に対する抑制コンフィグ「Blood Limiter」を設けており、『ゴア・スクリーミング・ショウ』Black Cyc、2006年)にも同趣旨の「GFL(Gore Filtering Level)」がある。さらに『沙耶の唄』にもグロテスク画像をオフフォーカスにしまたは明度低下表示させるコンフィグがあり、『マブラヴ オルタネイティヴ』もグロテスク画像の「視認性を大幅に下げる」ことを可能にする修正パッチを公開した。
 汚物描写(排泄物等)に関しては、『はなマルッ!2』にON/OFF機能があり、また『借金姉妹』selen、2007年)も非公式対応ながら汚物描写をカットできるパッチを配布した。このほか、『クラス全員オレの嫁』MBS Truth、2008年)の断面図ON/OFF機能や『学園催眠隷奴』シルキーズ、2008年)のアヘ顔ON/OFF機能の場合は、前記の特殊嗜好の性描写の側面も持つが、それと同時にユーザーのセンシビリティ(不快感)に対する配慮にも基づくと考えられる。

註40) 「おまけシナリオ」において内幕トークや冗談シナリオを披露するのも、パソコン用AVGが育んできた微笑ましい文化の一つである。歴史上有名なのがLeaf『雫』(1996年)と『痕』(1996年)であるが、その他にも『果てしなく青い、この空の下で…。』の後日談シナリオ、朱門優の手掛けた『蜜柑』C's ware、2001年)及び『いつか、届く、あの空に。』のおまけシナリオ、Purple software作品の「なぜなに」シリーズ、キャラメルBOX作品のnkmrモード、ソフトハウスキャラ各作品のおまけシナリオなど、枚挙に暇がない。同様に、ゲームディスク内にエクストラデータが収載されている場合もある(――制作スタッフのあとがきコメント、壁紙集、システムヴォイス集、自社旧作の修正パッチ集、次回作を告知する宣材ファイル、おまけムービー等。CD-DA音源の時代にはシークレットトラックもあった)。


 (3)演出と業界
 ういんどみる、elf、AUGUST、circus、TYPE-MOON、千代田区連合(ちよれん)各社、ぺんしる(pajamas softほか)、minori、Leafといった現在の有名ブランドも、時には演出重視傾向を牽引し、また時には様々な演出技術の認知及び普及に大きく寄与している。ういんどみるはとりわけ立ち絵演出の先駆者として。また、pajamas softは複合的な視覚演出の輝かしい実例として。elfLeafはPCゲームのシステマティックな表現の可能性を拡張し続けてきた挑戦的なブランドとして。そしてage及びminoriは総合的な物語演出の重要な唱導者として。これらは大手ブランドとしての責任を果たしていると言えるだろう。


 《第6節:作品内容にとって内在的な演出》
 これらの表現技法の中には、場面ごとのムードを盛り立てるための装飾的な演出強化にとどまっているものもあるだろう。しかし他方で、そうした視覚表現や聴覚表現の精緻化がAVG作品にとって特別に内在的な重要性を持つ場合もある。その優れた例が、――年齢制限付きジャンルではないが――『だらよ』シリーズに代表される自転車創業の推理(謎解き)アドヴェンチャーに見出される。ここでは、時には背景画面の中からなんかのヒントを発見し、また時には画面に表示された状況とテキストの示唆とを読み合わせ、あるいは動的演出の中に重要な変化を発見し、または音響表現を手掛かりにして、プレイヤー自身が試行錯誤しつつ謎を解き明かしていく過程そのものが、ゲームの醍醐味となっている。「アドヴェンチャーゲーム」の古典的形態に棹さすものであるが、その試みは今なお新鮮さを失っていない(註41
註41) 家庭用ゲーム機の分野における推理AVGの(何度目かの)流行はすでにピークを越えたかにみえるが、PCゲーム業界の側でそれに反応する動きは、少なくとも直接的なかたちでは、ほとんど現れなかった。むしろ精神的な意味でそれに呼応したのは、ゲーム性を伴わない純粋な読み物AVGの枠内で形成された、いわゆる「伏線」系の作品群であっただろう。ただし、それらの作品においては、プレイヤーによる能動的な「推理」は求められておらず、もっぱら事後的な「理解」のみが期待されている。
 システマティックな推理パート上の表現機能(あるいはインターフェイス)を伴ってプレイヤーの能動的な謎解きを求めるAVG作品は、今世紀のPCゲームにおいてはごく一部のブランドが制作しているのみである。すなわち、AbelSoftware菅野ひろゆきが手掛ける)、ぱれっと『復讐の女神』『MERI+DIA』の推理的選択肢)、Innocent Grey杉菜水姫が総監督を務める一連の「ミステリィ」作品)、そしてelf『野々村病院の人々』[1996年]、『新・御神楽少女探偵団』[2003年]など)である。『復讐の女神』は伝統的な推理アドヴェンチャーのゲームシステムに倣っており、ストーリー進行に応じて「捜査パート」「推理パート」「尋問パート」が設けられる。そしてとりわけ『クロウカシス』は、場所移動(時間経過あり)、会話選択(聞き込み)、室内探索(現場検証)そして犯人推理に至る、古典的な包括的推理AVGのシステムを再現してみせた。このほか、『FOLKLORE JAM』にも独自の探索システム(「SEARCHパート」及び「EXPLOREパート」)があり、また、音響表現を伴ったユニークなクイズ的演出として『ぶらばん!』の「演奏指導モード」がある。

 しかしながら、演出の作品内在性は、ミステリ作品のみの特権ではない。実際にも、本稿がとりあげてきた様々な演出は、AVGに持ち込まれた単なる物珍しい小道具に終わるものではなく、すでにAVG表現のノーマルな一部分となり、そしてAVG一般の重要な構成要素になっている。そもそもAVGそれ自体も、上記のようなプレイヤーの能動的介入の契機またはなんらかのインターフェイスシステムの存在といった「ゲーム性」要請に拘束され(それによって限定され)ねばならないものではない。自由で多様な遊戯(game)的表現システムとしての「アドヴェンチャーゲーム」を、我々が手放す必要はまったく無い。



 《総括と展望》

 今世紀のPC用AVGの演出強化傾向について、最も消極的に評価を下そうとするならば、それらはストーリー面での行き詰まりに直面したAVG作品が、その内容的充実を模索する中で補填乃至代用として案出した時間稼ぎの小手先芸であって、AVGの本質的な深化にはなんら寄与しておらず、またプレイヤーにとっては物語を読み進める上でただ単に時間を徒過させる夾雑物であるに過ぎないのだと批判する立場を採り得るかもしれない。しかし、楽観的に見て、AVGという形式に内在していた総合芸術的可能性、すなわち視覚表現+文字表現+聴覚表現+システム表現の四者によるマルチメディア複合表現の可能性がまさに開拓され深められつつある過程だと捉えることもできるだろう。それはまさに、遠く前世紀に「ATLACH=NACHA(アトラク・ナクア)」alicesoft、1997年[『アリスの館4・5・6』所収])によってすでに予言されていた可能性である。

 PC用AVGにおいて開拓されてきた様々な演出技術及び演出技法は、ストーリーに対する表層的装飾以上のことを達成しており、AVGという媒体において実現し得る表現のキャパシティそのものを拡張することに成功している。ただし、演出「技術」は本質的にはあくまで技術的手段であって演出そのもの(あるいは演出のすべて)ではないということがあらためて自覚されるべきである。演出技術の使用は演出効果の質それ自体と同義ではないし、まして作品全体の質を自動的に保障するものではない。それゆえ本稿が行ったこともまた、せいぜいのところ、実質的なAVG演出論のための形式的な修辞学的準備作業であるにすぎない。そして、開拓された技術をどのように用いるかについての、より高い次元での演出意識の差が、今後不可避的に問題となってくるであろう。いずれにせよ、演出技術の発展がAVGにとって何を意味するかは、今後のゲーム制作者たち自身の創造性にかかっている(註42
註42) 本稿の論述は、現在のAVGにおいて行われている様々な演出の技術的手段についての記述的整理作業に終始してきた。しかし、AVGの現状に関するこの概観的認識を、AVGに関する規範的乃至価値論的議論へと振り向けることもできる。開かれている(あるいは、開かれるべき)一つの路は、本文でも示唆したように、AVGに関してその自律的基準としての美学的視座をさらに発展させていくことである。AVGのあらゆる局面に関するよりいっそうの技巧開拓及び全体的洗練が制作者たちに求められるとするならば、それに対応して、それらの優れた作品を適切に評価していくことが、作品の受け手である我々プレイヤーの任務であり責務となるであろう。ただし、ゲームに対するこの美学的視座は、統一的総合的な体系知を築き上げるにはいまだ程遠く、そればかりかそのような実質的含意を伴う美学はそもそも目指されるべきでない(成立し得ない)ものであろうが、しかし少なくとも実用的な方法上の道具立ての束としては、十分に見込みがあると思われる。
 そしてもう一つの路は、AVG表現の現代的意義の再検討への取り組みである。AVGが実現してきた豊かな内実の実証的観察を基礎として、いまや我々は、AVGに対してしばしば提起されてきた四つの非難乃至偏見を、いわれなきものとして退けることができるだろう。すなわち、一つは「演出は、ストーリーを粉飾し、ゲーム進行を遅滞させ、プレイ時間を水増しする、単なる余剰的夾雑物である」という見解(家庭用ゲームに関しても縷々唱えられる演出不要論)であり、第二に「AVGには素晴らしいストーリーがありさえすれば良く、それ以外のものはせいぜいのところ副次的な価値を持つに過ぎない」とする見解(ライター中心主義やテーマ論志向と結びつきがちな物語至上主義)であり、第三に「現在のPC用AVGは、技術的発展への努力を放棄して先祖返りめいた原始的形態へと退行してしまった、きわめて底の浅い媒体である」とする見解(因習化した電脳紙芝居説)であり、そして第四に「AVG(アドヴェンチャー"ゲーム")は、本来『ゲーム』でなければならないのにその条件を充足していない、ゲームとして欠陥のある形態だ」とする見解(硬直的で一面的なゲーム性信仰)である。国内PCゲームに関するこれらの論点の直接の起源は、読み物的側面を強調するノヴェルゲームがもてはやされたいわゆる「」時代(1996年〜2002年頃)に遡ると思われ、たしかにその当時は――「Hシーンの必然性」というフレーズをもって縷々言及されていた論点とともに――有効な議論パラダイムであったにしても、しかしそれらが現代のAVGに対して向けられる場合にはもはや実態にそぐわないアナクロニスティックな偏見でしかない。本稿が取り上げてきた多数の実例は、これら四つの偏見を覆すのに十分であろう。
 複雑さを増した現在のAVGの中には、数多くの演出技術と演出要素が、すでに欠かすことのできない重要な構成部分として取り込まれており、また総体的な(演出上の)様式選択それ自体が、個別作品の意味全体に深く関わっている。その中ではシナリオ技巧もゲーム性もアダルト要素も、利用可能な手段の一つではあっても、絶対的な優位を占めるものではない。そしてそれら自身も、AVGの他の様々な構成要素との相互関係の中で評価されるのでなければならない。結局のところ現代のAVGは、なんらかの特定の要素に依存せねばならないような脆弱な媒体ではなく、それどころか逆に、本稿が「演出」の名の下に紹介してきたとおり、AVGは自分自身の表現能力を、十分な幅広さと厚みと柔軟さをもって、しかもいまやAVGにとってごく普通の表現手段のセットとして、発達させてきているのである。
 成人向けPCゲームの可能性について、過去には「この分野は、稚拙なデジタル紙芝居からいつまでも脱却できない、袋小路の表現分野なのではないか」といった類の悲観的展望が囁かれたこともあった(――現在でもその種の論調は時折見られる)。しかし、それらの予想に反して、AVGが無数の試行錯誤を経て開拓し到達しそして立脚しているこの地平は、そのような不毛の世界ではなかった。AVGが現在進みつつある方向性には、――永らく続いている社会情勢上の困難を別とすれば――深刻な行き詰まりの予兆はさしあたり見当たらない。そして、ここ十年来のAVGの発展を導いてきた最も重要な契機は、なによりもまず、AVG制作実践における演出意識の高まりであった。


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・あとがき(→次ページ

(2009年1月12日公開; 3月4日改訂; 6月11日改訂; 9月3日改訂; 2010年1月17日改訂; 2011年3月4日補訂; 4月10日改訂)


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